盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

盛岡という星で 盛岡という星で

もりおか史!

2024/8/11

 


||◤
#04 16人の殿さま ◢||

 
✤ 江戸時代、「盛岡の殿さま」は何人くらいいたと思いますか? 1人? 5人? 10人? 30人? それとも100人くらい…?
 
✤ 実際は、江戸時代の約260年で16人の殿さまがいました。徳川将軍家が15代徳川慶喜までですから、なんとなく想像のついた方が多かったでしょうか。
 
✤ 盛岡城を居城として盛岡藩を治めた盛岡南部家の歴史は、戦国時代を生き抜いた初代藩主・信直からはじまりました。その後を利直、重直、重信、行信、信恩、利幹、利視、利雄、利正、利敬、利用、利済、利義と続き、利剛の代で戊辰戦争が勃発、利恭の代で「大名家」としての役割を終えたのです。どの殿さまも、一人ひとりに興味深いエピソードがあるのですが、それをご紹介するのは、またの機会に…。
 
✤ ちなみに、盛岡南部家は利恭のあとも脈々と続いており、もりおか歴史文化館の名誉館長でもある現当主の南部利文さんは、利恭の玄孫(やしゃまご=ひ孫の子供)にあたります。
 

難読名の多い歴代盛岡藩主。それぞれの名前の読み方は記事の末尾に記載します。読み方クイズだと思って、まずは解読に挑戦してみてください!

 
監修 ► もりおか歴史文化館 [WEB
 
 
 

 

◤ 資料解説 ◢

盛岡藩主歴代の肖像 (いずれも もりおか歴史文化館収蔵)

10代利正までは「南部氏歴代画像」に描かれた肖像画(「南部史歴代画像」の詳細は「もりおか史!」#01を参照)。11代利敬から13代利済までは1人ずつ個別に描かれた束帯姿の肖像画、14代利義以降はモノクロ写真が現存している。4代重信以降は顔立ちも年齢も体型も様々で、現存する写真と比較しながら藩主たちの実際の姿を想像するのも楽しい。

 

【歴代藩主の名前の読み方】
①のぶなお、②としなお、③しげなお、④しげのぶ、⑤ゆきのぶ、⑥のぶおき、⑦としもと、⑧としみ、⑨としかつ、⑩としまさ、⑪としたか、⑫としもち、⑬としただ、⑭としとも、⑮としひさ、⑯としゆき