もりおか史!
2024/5/20
監修 ► もりおか歴史文化館 [WEB]
◤ 資料解説 ◢
「南部氏歴代画像」(なんぶし れきだい がぞう) 江戸時代
南部家初代の南部光行(みつゆき)から、35 代目の利正(としまさ)(10 代盛岡藩主)までの歴代当主の甲冑姿を描いたもの。各図像の右側に該当人物の歴代数・通称(幼名(ようみょう)や官途名(かんとめい))・実名・父親・享年が記される。江戸時代の特定の段階でまとめて描かれたと考えられ、容姿は似ている部分も多いが、特筆すべき逸話や伝承が残る当主は、それが図像内に表されている(13 代守行(もりゆき)の双舞鶴旗(そうぶかくき)や14 代義政(よしまさ)の黒母衣(くろほろ)など)。
◤ 南部氏について ◢
南部氏は鎌倉幕府草創期に清和源氏(せいわげんじ)加賀美遠光(かがみとおみつ)の第3子光行(みつゆき)を祖として成立した武士団で、甲斐国(かいのくに)巨摩(こま)郡南部郷(なんぶごう)(山梨県南巨摩郡南部町)を拠点としたため「南部」を名乗るようになった一族である。未詳な部分も多いがこの南部光行が甲斐国から陸奥国に下向(げこう)したのち、馬の産地である陸奥国(むつのくに)糠部郡(ぬかのぶぐん)の一戸~九戸の地に一族が広まったといわれている。このうち三戸南部家がのちに盛岡城を築き盛岡藩主となり、いわゆる「盛岡南部家」が成立する。
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