盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 Wine Restaurant TAKU

2025/7/9

 

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

新村 琢さん、友理子さん/Wine Restaurant TAKU 


 

お二人の出身はどちらですか?

琢)二人とも盛岡市です。僕は松園です。

友理子)私は緑ヶ丘です。

お二人とも、こども時代から美味しいものが好きだったんですか?

琢)うん、そうですね。うちは、すごい数のおかずが並ぶ家でした。いろいろなものをバランスよく。弁当もそうでしたけど働きながら母はよくやってたなと思います。

友理子)うちも共働きで忙しい両親で、祖母の方が料理を教えてくれました。祖父母の出身地でもある長野の郷土料理が多かったですね。漬物とか山菜とか。父が病気がちだったので、栄養面からなにか助けになればいいなと思っていましたし、父の病気にまつわる栄養学を学ぶという名目で東京に出たかった(笑)

栄養士の資格は取らず、盛岡に帰ってきてから、調理師専門学校に入りました。調理師と栄養士って同じことでも解釈が全然違うんですよ。それからはずっと料理を作る仕事です、洋食の現場が多かったですね。29歳の時に仕事を辞めてイタリアへ。イタリア中部にあるペルージャ外国人大学という学校に在籍しながらレストランでバイトをしていたんですが、何か資格がほしいなと思ってソムリエを目指すことにしました。

 

ソムリエって日本では民営の資格ですが、イタリアでは国家資格に準ずる資格です。クラスにはイタリア人しかいませんでしたね。1年間の講習と、中間試験、最終試験があり全部イタリア語で。カタコトで話せるようにしてから現地に行き、大学にも並行して通いはじめ、ペラペラとはいかないけどある程度喋れるかな?という頃に、「ソムリエになりたいんだけど」と電話をしました。日時を指定されたので行ってみると「まずは金を払え」と(笑)教科書も全部買わされて「もう今日から講習だから」という感じで入会しました。

買った教本は全部読むように言われたんですが、気が遠くなるような量で…。全部イタリア語なので、辞書をひいて、英語とイタリア語を行ったり来たりしながら覚えました。合格率は4割くらい。筆記、実技などの試験が全部終わったあとの面接で資質がないと思われたら、ほかの試験の点数が良くても落とされます。結局、知識があっても会話とサービスができなければソムリエとしてはダメなんです。

⸺友理子さんがイタリアから帰ってきたきっかけは?

友理子)東日本大震災です。イタリアではライブ映像がリアルタイムでずっと流れていましたし宮古市には友人もいたので心配でしたね。それもあって、帰国前になにがなんでもソムリエのタイトルを取らなきゃダメだなと思い、必死で勉強したんです。

シェアハウスの個室に引きこもって、勉強のために毎日3本ワインを飲んでいました。テイスティングノートを書いたり分析したり、寝ている以外の時間はずっと勉強して。

飲み切れなかったワインをシェアハウスの友人たちにあげると喜ばれましたよ。勉強ばかりして、ものすごい量のワインを飲んで大丈夫か?ってみんな心配してくれましたね(笑) 

「この資格を取らないと日本に帰れないんだ」って話して、最後は試験官に拝んで拝んで。深いため息とともに「いいよ」って言ってもらって合格。一緒に試験を受けていた人たちも「よかったね!」って祝福してくれて。体調が悪いのも我慢して我慢して試験を受けて、日本に帰ってきたら即入院でした。

 

 

さんの高校卒業後の進路は?

琢)卒業後は仙台で1年浪人生活、それから東京の大学に進学して、立派に2年で中退しました(笑)

もともと大学に4年通って卒業して、どこかの企業に就職するっていうイメージが全くなかったんですね。父親が獣医なのもあり、自分の手でやる仕事がいいなと思っていたので。かと言って最初から熱い思いをもって料理の仕事を始めたわけではなかったんです。

24歳の頃、バイトしながらフラフラしていたんですが「もっと料理の勉強しよう」と思い、深夜の牛丼屋でバイトをしながら調理師専門学校の夜間部に通いました。卒業後は箱根にあるレストランに住み込みで就職しましたが、労働時間が長く、パワハラもすごいところだったので、1年で逃げました(笑)それから東京都内に戻り、カジュアルなイタリア料理店と創作和食のお店でそれぞれ約7年ずつ働きました。

30代前半のころに今後のことを考えたときに、このまま東京でずっと雇われて働くというのが怖くなってきて。40歳までに自分の店を持つという目標を定めました。

⸺菜園のお店を始めたのはいつ頃ですか?

琢)2013年11月です。物件を決めたのが8月で、それからソムリエ資格を持った人をさがしたのですが、なかなか見つからず...。いま思えば無謀でしたが、条件にぴったりの人が10月くらいに現れたんです。それが結婚前のこの人でした。

友理子)最初は雇われていたんですが、お互いにいい歳だし、出会って3か月で結婚することを決めちゃいました。ちょうど良すぎたんですね。琢さんはワインと日本酒の知識もあって料理人をやってる。わたしはもともと調理師で料理をやっていてソムリエになった。だから料理を作るときや、その料理にワインを合わせるとき、話が通じやすいんです。本当に、いろいろなことが絶妙なタイミングでしたね。

 

 

⸺オープン日はどうやって決めましたか?

琢)11月19日、特にこだわりはなくて、準備を進めていくなかでこの日ならいけるかなという感じで決めました。最初は同級生や、その家族が来てくれて。東京にいた頃の感覚で、何も宣伝しなくても新しい店だったら人が来るだろう、そして納得してもらえたらそのままお客さんになってくれるだろうと思っていたら全然そうはならなかった。

友理子)最初は本当にアウェイな感じでしたね。でも、ゼロから始めるっていうのが楽しかったんです。

琢)少し経って、雑誌やテレビの取材が入るようになったり、1度来たお客様が、また別のお客様を連れてきてくれて…という感じで。地道に少しずつ、でしたね。

友理子)今までの経験も、扱うワインも自信はあったので。だから負けたくないなという気持ちもあったし、「いつかは」と思って信じてコツコツやる日々でした。2018年に子どもが産まれて生活が変わり、翌年コロナの流行がはじまり一気に店が暇になりました。子育てに手を掛けられた事は良かったのですが。

琢)店を閉めることも考えました。でも、二人で話し合って、お互いの親に協力してもらいながら続けようかと悩んでいる頃に、バスセンター出店の話をいただいたんです。

友理子)いっそ引っ越して、違う都市で仕事を探すかとか考えていたほどで、あの頃はいつも店のことで頭がいっぱいでしたね。

琢)当時の菜園のお店は広すぎて体力的にも続けるのは難しいと思っていたこともありましたし、バスセンターならいい形で再スタートできるかもしれない、と。

友理子)続けるなら狭い店でって言ってたしね。コロナで宴会もなくなっていたし、タイミングがすごくよかったです。コロナの真っ只中もバスセンターへの移転の話が決まっていたので耐えられたというか、未来の店に希望をもつことで乗り越えられました。

 

⸺バスセンターのお店をオープンしたのはいつですか?

琢)2022年の10月です。家がすごく近くなりました。子どもとのこれからの生活を考えてもよかったなと思います。

 

⸺移転して3年ですね。

琢)自分の目指す店には、移転したことで近づいてきていると思います。カジュアルなメニューも楽しんでもらいつつ、ご要望があればきちんとしたコースも出す、というような。

友理子)そう、居酒屋とレストランの間みたいな気軽なイメージだったんです。でも、出しているものはちゃんと美味しく、料理にワインを合わせることもできる。だいぶイメージに近づきましたね。ホテルにご宿泊のお客様でカウンターでサクッと飲んでいく人もいますし、お子さん連れで来てくれる方もけっこう多いですよ。ご両親はワインを飲んで、お子さんは好きなものを食べて。

琢)そうだね、それは嬉しいことだよね。菜園のお店に来ていたお子さんが高校生になっていたり。長くお店をやってると面白いですよ。

⸺好きな言葉を教えてください。

琢)いろいろ考えたのですが、これだけは全然出てこなかったんですよね…。でも、毎回お客様から「美味しかったよ」って言ってもらえるのはすごく嬉しいですし、励みになりますね。

友理子)うーん、わたしもないですね。

琢)ないよね?(笑)大きな相談ごとは、2人で決めてきたし。でも、うちの父親に、店閉めようかなというタイミングで相談をしたときに「続けろ」と言ってくれたのは大きかったですね。昔からそういう教育方針でした、やり続けるのが大事だ、って。

 

⸺TAKUのこれからについてお聞かせください。

友理子)ソムリエの仕事自体には自信がありますけど、これから先お酒を飲む人口っていうのは減ると思うんです。だからワインを出す仕事だけに誇りがあるというよりは、飲食店として地域の人たちやこのお店を好きでいてくれる人たちが、お酒を飲んでも飲まなくても、特別な時でもそうじゃない時でも、来てくれて「美味しいね」って楽しんでもらえたらいいなと。それで続けていけたらいいなと思っています。

琢)一応、40歳で自分のお店を開けるという目標を果たして、移転して。その次ですよね。次の目標…。正直、今のところまだないので、これから見つけます!小さなやりたいことは浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返しているんですけどね。

振り返ってみたら、今までもいい流れにのるようにお店をやってきたんだなと思います。これからも出会いやタイミングを大事にしながら「バスセンターに移転して、また10年経ったね」という節目の年を迎えられればいいですね。

 

 

 


Wine Restaurant TAKU (2013年11月19日オープン/盛岡市中ノ橋通1丁目9-22 盛岡バスセンター東棟 2階
Instagram @wine_restaurant_taku_morioka

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