盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 Ririe

2025/3/30

 

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

沢田進さん/Ririe   


 

⸺沢田さん、ご出身は?

高校まではずっと宮古でした。3人兄弟の真ん中で、上が姉、下が弟です。中学校のときはサッカーで、高校ではラグビーをやっていました。僕らの時代は「ヤンキーがかっこいい」という時代だったんですが、「ヤンキーって本当にかっこいいのか?」と疑問を持ったりもしていて。悪ぶって先生に怒られるだけなのも嫌だなあって考えて、勉強はクラスで1位をとったり。何かで反省文を書いたときに「反省してるかどうかは別として、反省文の文章はとてもいい」とほめられたこともありました。先生からしたらちょっとひねくれた生徒だったかもしれません。

普通の人は1、2、3、と段階を踏んで進めることが、僕はいきなり4くらいまで一気にできちゃったりするんですよ。ただ、努力できる人や才能がある人はそこからさらに飛びぬけていくんですが、僕は努力少なめで飛び級しちゃうから飽きてしまう。ちょっといいレベルまではできるけど、飛びぬけた人には追い付けない。マルチプレイヤーみたいな良さもあるけど深みは出てこない(笑)Ririeはそんな僕が唯一続けてきたことなので、自分に合っているんでしょうね。

 

⸺卒業後の進路は?

高校を卒業して入社した会社は、日用雑貨や食品をトラックで運ぶのが仕事でした。会場に商品を持ち込んで、そこで3、4日間イベント販売をして。自分でお金を稼いで、好きなものを買いたいというのが1番で、職種は何でもよかったんです。とにかく給料がいいところを選びました(笑)

18歳から2年半くらい働きましたね、大阪を拠点にして四国や、島根・鳥取あたりまで。1週間ずつ転々として、続くときは1か月弱くらいは移動と出店を繰り返して。楽しかったですよ。仕事で色々な場所にも行けましたし。休みはまとまって1週間くらい休めるんですけど、そういう時は仙台に帰ったり、大阪で遊んだりしていました。

 

⸺ファイヤーキングはその頃に出会ったんですよね。

そうですね。古着屋というか家具屋みたいなところで見つけました。その頃はもちろんスマホもないですし、「何だかわからないけど、このゴツゴツしたものは何だろう」と思いながら買いました。世の中でファイヤーキングが認知されてきたのは2000年、24歳の頃だったと思います。自分が最初に買ったのが21,2歳だったので、「おぉ!俺の時代がきた!」と思いましたね(笑)店を始めるまでの10年くらいの間で400〜500個くらいは買い集めました。

その後、美容師免許がないと美容師になれないと知らずに、当時流行っていたカリスマ美容師を目指しかけたこともありましたが(笑)地元に戻り、宮古で何年か過ごしました。パチンコ屋で働きながら、夜はスナックで働いて。ファイヤーキングを集めたいし、服(古着)も好きだし、いろいろ買いたいものがあって(笑)実家がクリーニング店だったので、そこも手伝いながら。そんな中、交通事故に遭ってしまったんです。

車対車の正面衝突でした。当時スノーボードが好きで、その帰り道。もうすぐ家に着くというところで対向車線の車に突っ込まれて。右足の大腿骨脱臼骨折で問答無用の入院生活と車いす生活が始まりました。その後は右足に全体重をのせないように暮らして、松葉杖が完全に取れるまで1年以上。大変だった記憶はありますが、でもまあ、今となってはそれもいい思い出です(笑) だんだん元気になってきますし、松葉杖の扱いにも慣れてくるんですよ。松葉杖でも毎晩飲みに行ってました。そんな感じで3年くらいは宮古にいました。

 

元気になってスナックのバイトに戻ろうとしたら僕の居場所は無くなっていて(笑) 別に宮古にいる理由もなくなったし、ちょっとオシャレなところで働きたいと思って盛岡に出てきました。お金を稼げるかどうかよりも、自分の楽しさを優先したいなと思ったんです。

働き始めた市内の雑貨屋は女性しか採用してなかったんですが、万引きが増えていて。その対策として男性がいてもいいな、というタイミングだったみたいで運良く僕が採用されたんです。実際、万引きがあって犯人を追いかけたこともありました。

その雑貨屋で数年働いたあと、Brownstoneという古着屋で働き始めました。アメリカの買い付けにも同行したり。でも、働いているうちに、店では古着扱っているけど僕自身はずっと雑貨が好きというところで、ちょっとずつズレが出てきてたんですね。そのズレをオーナーが見つけてくれて、「もしも、服と雑貨のどちらかしか扱えないって言ったらどっちがいい?」という話をされたんです。このまま一緒にやっていけば僕がどんどんブレてしまう、って。

店長は4歳年上で、だいぶ尖っていましたね(笑) 僕の中の違和感に気づいて伝えてくれた。そういうところ、今思い出してもすごいなと思います。

 

その後はお金を貯めるために工場で2年くらい働きました。場所はどこでもよかったんです、とにかく賃金がいいところ、という条件で派遣会社に紹介されて金沢へ。でもお金は貯まりませんでしたね(笑) 結局、向こうに行けば行ったで良いヴィンテージショップがありますし、ヴィンテージの物って一期一会なので。…買っちゃうんですよ。少しでも気になったら買った方がいいというのが僕の持論なので。

33歳の誕生日までに開店できなかったらお店は諦めようと決めていて、岩手に帰ってきたのが33歳になる5か月前でした。盛岡に家がなかったので、宮古の実家から通ってネットカフェに泊まりながら物件を探したりしていました。土地勘がなかったのでどこがいいか分からなかったけど、お店の周りも賑わっているなと思って桜山にしたんです。仕入れや準備期間を考えて9月にオープンする目途をつけました。

 

⸺オープンの日はどんな感じでしたか?

ほとんどの方が「ここは何屋なんだろう」っていう感じでしたね。まだSNSもなかったですし、店の入り口には「9月3日雑貨屋オープン」って張り紙をした記憶はあります。人が通るので「気になったら入ってきてね」くらいの感じでした。

最初は定休日なしで、11時から20時まで通し営業をしていました。休みは12月30日〜1月1日くらい、その3日も初売りの準備があるので仕事をしていましたし。5年くらいそれを続けて、お客さんの流れが分かってきてから定休日を決めました。今は、営業時間を11時から19時、定休日を木曜日にしました。定休日も隔週で試してみて様子をみつつ変えていきましたね。休んだら休んだなりに別の日にお客さんは来てくれるので、それはありがたいことです。

⸺10年を迎えた頃はどうでしたか

2018年、43歳の頃ですね。変わったのは「表現の自由度」ができたこと。オープンのときは自分の好きなもの、思い入れのあるものをある意味一方的に置くという感じでした。10年の間にお店というベースが認知されてきて、僕が良いと思ったものをお客さんと双方向に「いいよね」と言えるようになった。そこに楽しさを感じるようになりました。

「あ、可愛いから入ってみよう」と、通りがかった人が思えるような空気づくりは心がけています。いまだに入りにくいとは言われますが(笑)例えば、僕がスーツを来て立っていれば「スーツの人がいるお店」になるし、蛍光灯で明るくしていれば、また今とは雰囲気の違うお店になっていたでしょうし。ずっと作り続けている空間が「可愛いから入ってみよう」に繋がっていれば嬉しいなと思います。

⸺大切にしている言葉、教えてください。

僕はチバユウスケがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)のころから好きなんですが、ミッシェルガンのあとに組んだTHE Birthday(バースデイ)の曲の中に「変わらないでいるために変わる 当たり前じゃんかそんな事(曲名『Buddy』)」という歌詞があるんです。すごく簡単なようで本当に難しいことだと思うんですが、その通りだなと思うんです。

最近でいうと自分が変化を求めて始めたのは、YouTubeですね。今まで自分がやってきたことに、新しいことを一つ組み込んでみるとそこに変化が生まれる。YouTubeもやってみてよかったなと思います。良いものを作る職人がいる、だけど頑固!というのは、もったいなくない?って思っちゃう。今っぽいことを導入すると大きな変化が広がる、そういうことをこれからも続けたいなと思います。判断する前にまずやってみた方がいいと思いますよ。やってみて初めて分かる、見えることが出てくる。進まないとガチガチに固まって終わってしまうんで、一歩進んだ方が絶対に何かが得られる。それに飽きたら止めればいいし、出来なきゃ止めればいいし、出来なかったら外注したっていい。自分が全く知らない世界のことを全部取り入れようとは思ってなくて、ちょっと気にするくらいで合わせていくと、また変化が生まれたりもするんで。若いころよりもっと柔軟にいろいろやってみようと思えるようになりました。

⸺これからについて教えてください。

好きなことをさらけ出すことでお客さんがついてきてくれるようにもなりました。マイノリティな商売をマジョリティに持っていこうとは思いませんが、ちょっとでも良いなと思ったら足を止めてみてほしいし、いま好きな人はもっと深みをもってほしいなと思います。そうなるように表現し続けられたらいいなと思っています。

いろんなものを見て、経験して、お金を使ってきた。それをお店に表現する。無理はしないほうがいいと思っています。そのベースは残しつつ新しいことをやっていきたいですね。






Ririe  (2008年9月3日オープン/盛岡市内丸6-3
Instagram @ririe0903

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