盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 RHINO

2024/5/30

     

 

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

横山慶さん、横山歩美さん/RHINO


 

⸺お二人の学生時代、仕事を始めた頃についておしえてください。

慶)出身は旧都南村で、高校は盛岡第四高校です。岩手大学の工学部に進学して、就職活動は東京にあるIT系の会社を1社だけ受けました、受からなかったけど東京に行って、2年くらいはフリーターをしてて。2002年カフェブームの中で、飲食業に就職しました。岩手大学在学中も飲食店でアルバイトしてたし、当時はカフェか、アパレルか、美容師になりたいなって思ってましたね。とにかく、おしゃれなことをやりたかったんです。

渋谷で人気だったカフェでバイトから社員になって、1年ぐらいで渋谷で店長になりました。そのあと京都に行かないか?って声をかけてもらって。「え?いきなり?」とは思ったんですけど、若さもあって「行きます!」って答えて、24歳で京都店の店長になりました。

歩美)私も大学4年のときには就活をして、アパレルの大きい企業で内定もいただいて。友達も就職就職っていう感じだったし、私もしなきゃと思って入社の研修も受けたんですけど、結局は辞退しました。

ケーキ屋をやってる新潟の実家の影響もあったと思うし、大学時代のスタバのバイトがすごく楽しかったのもあって、「飲食、自分に合ってそうだな」って感じていました。結局、就職はせずに下北沢のカフェ、恵比寿のイタリアンで働き、前職の会社に調理担当で採用されました。ルミネ新宿の中にある人気のカフェでめちゃくちゃ忙しかったですね。で、社員になって、「大阪の店舗に料理長として行ってくれ。」って言われて。

慶さんは「店長」として。あゆみさんは「料理長」として。若手にチャレンジさせてくれる会社だったんですね。

慶)やりながら覚えていく、勉強していくっていうことを大事にしてくれる会社でした。同期だったので名前はお互いに知っていたんですよ。俺が社員になろうって決めたときに、歩美が大阪の店に料理長で行くタイミングで。「すごいやつがいるな…。」って思ってましたね。

 

良きライバル、という感じがします。

歩美)京都と大阪で距離的に近くなったので会う機会が増えて、店舗を一緒にオープンさせたりもして。30歳手前くらいまで勤め、最後は複数店舗を担当するマネージャーまで経験させてもらったんですが、会社が成長していくにつれて街カフェの出店が減ってきました。

慶)空間と音楽と食べ物と人。全部が詰まってる場所で働きたいという気持ちが自分たちは強くて、退職を決めました。それで、東京の別の飲食店で働くか、地元に戻るかで地元盛岡に帰ってくることを選びました。俺は盛岡第二高校の近くにある「GALF」っていうアパレルから誘ってもらったのもあって。

歩美)本とか、アパレル、音楽も、行けば何か新しいものを吸収できる。スタッフもおしゃれで、酒もご飯もおいしくて。全部が揃ってるカフェっていうのが2人の共通の理想でしたね。

歩美)私は大型店舗だったので、大勢のスタッフでオペレーションをこなすのが大好きだったんですよ。

慶)俺は苦手なんすよ。少数精鋭、3人で回すみたいな方が好き。なので、開業したときは喧嘩もたくさんしました。やり方が全然違うので。同じ会社で育ったのにぶつかってましたね。お互いにそのやり方で6年間戦って、実績を積んできたのでなかなか譲れないんですよね。でも両方のやり方を知っていたのは強みだったかもしれないです、うちの店の。キッチンとホール、大型店と小型店。それぞれのアプローチを持っているっていうのがRHINOですね。脳みそが2個ある、経験者が2人いる。

当時の盛岡って俺たちが思うようなおしゃれが詰まったようなカフェがなかったんですよね。喫茶店はいっぱいあるけど。でも、やる人がいないだけなのか、盛岡にそういうカフェの需要がないのかがよくわからなかったけど、周りからは「あったらいいな」って聞くし、「やれるんじゃないかな?」って。それで物件を探し始めました。

飲食店マネージャーの会議をみているようです(笑)

歩美)ですよね(笑)でも独立開業は初めてなので不安はありました。でも、うちらが東京で見てきたカフェを再現できれば流行らないはずはない、と言い聞かせて。新潟の両親からは反対されましたね。「自営業、大変だよ。本当に大丈夫なの?」って。

 

やろう!って言ってからオープンまではどのくらいの期間だったんでしょう?

慶)カフェをやるって決めてからは1年くらいですかね。GALFにも話して並行して準備を進めていたので、正式に退社してから3ヶ月後ぐらいにオープンを迎えました。


オープンの日はどうでしたか?

歩美)プレオープンもしたし、経験値あるつもりだったけど、バタバタしたよね。

慶)あれだけ新店立ち上げやってきたのにね。修行やり直しじゃん!って感じでした。超へこんだ1日でした(笑)足りないものもいっぱいあって。営業時間は昼12時から夜12時までの通し営業。

お店の名前は、決めていたんですか?

慶)なんでRHINO?って、今でも皆さんに聞かれるんですけど。本当に決まらなかったんだよね。

歩美)英和辞典をAからZまで見ました(笑)今思い返すと恥ずかしいんだけど煮詰まってくると「この○○っていう英語を逆にして…こういう意味が…とか。意味を込めすぎて(笑)最終的には好きな動物。正式名称はライノセロスって言うんですよ。恐竜みたいでしょ。

慶)お世話になってる先輩に言われた「その名前でオープンさせて、それから好きになっていけばいいんじゃない?」って言葉にも背中を押されました。

 

オープンから10年経った頃のRHINOはどうだったんでしょう?

歩美)私達は犬を飼ってるんですが、犬を連れていけるカフェも盛岡にあんまりないなと思って、犬と一緒の来店もOKにしていました。前の物件はオーナーさんが変わったタイミングで犬はNGになってしまって、そのときに今の物件の情報を不動産屋さんから聞き、コロナのちょっと前、2017年に「dish」って言う惣菜屋を始めました。

慶)RHINOが軌道に乗っていたし、まだ30代だったし、事業拡大するのもいいな、と。いわゆるDEAN&DELUCAに近いような、惣菜と小売の店が盛岡にあったら面白いんじゃないかなって思って動き始めていたんですね。でも、結論から言うとうまくいかなかったんですよ、今は笑い話なんですけど。1年ももたなかったです、オープンの翌年には閉めることにしました。

歩美)店を閉めるタイミングって、すごく重要で。店を引き上げるにもお金がかかりますし、タイミングが大事。dishの閉店が1ヶ月遅かったら、RHINOも続けられなかったかもしれないし、2人とも今、サラリーマンだったかも。

慶)閉めなきゃいけないタイミングなのに閉めることができないのって、やっぱりプライドのせいだと思うんです。もうちょっとやれるんじゃないか、とか、恥ずかしい、とか。でも、閉める決断をしたあとは気持ちを切り替えました。こっちの物件にRHINOを引っ越そうって決めて。

歩美)今だから言えるのかもしれないですけど、あの失敗もしておいてよかったな、って思うんです。RHINOがずっと順調だったら、私たちも天狗になっていたかもしれないし。

慶)あと、持ち帰りの惣菜屋をやってたからコロナの対応は早かったと思います。結果オーライだよね、糧にはなってた。

歩美)もちろん成功すると思ってみんな始めると思うんですけど。引き際も重要っていうのはすごく勉強になりました。2人で目指す形も少しずつ変わってきましたしね。

 

慶)今は社員の子たちと頑張って、最終的には2人でお店をやっていければいいなと思っています、お客さんと一緒に楽しく話したり飲んだりしながら生活ができれば、って。

歩美)もちろん儲けは大事ですけど、大きく儲けたいとかはそこまでは考えてないですね。いま、東京にもこういうカフェって少ないんですよ。こっちの提供したいものと、ニーズのずれがでてきた。

飲食店も細分化されて、専門店が多くなってきたのもあると思います。うちにもカフェに行きたくて、って言うよりは、例えば、「オムライスが食べたい」、「コーヒーが飲みたい」という感じで来てくれるお客さんが増えてきました。

慶)時代の流れだよね、誰も悪くないんです。お客さんも、私達も、わかりやすいかなと思って、ちょうど10年っていうタイミングで舵を切りました。コロナの頃からですね、昼も夜も通しで開けているのはもうしんどいなあという気持ちがでてきたんです。お客さんは来てくれるし、本当にありがたいんですけど、ちょっとモヤモヤしながら働いてて。

歩美)私たちのゴールがどこかっていう話にもつながるかもしれません。売り上げがあがればいいの?っていう。それで、話し合って、店名を「Cafe RHINO」から「RHINO」に変更して、クラフトビールやナチュールワインを楽しむ、夜だけの営業に切り替えました。

慶)前まではランチがあったので、10時ごろから出勤して片付けが終われば夜1時。週6日の営業でした。でも、長時間お店を開けていた10年があったから今があるなと思ってるので。全然無駄ではなかったなとは思います。仕事がもともと好きなので。2人とも。今考えると、辛かったとかではないんですよ。

歩美)でも夜営業にして、生活と仕事にメリハリをつけるようにしたら、うん、とてもいいよね。最高です。ストレスフリーです。

大事にしている言葉があれば教えてください。

慶)そういうのは歩美に任せます(笑)俺、感覚派なんで。

歩美)言葉、っていうのかなあ。私、この人と会ってから、ポジティブ変換できるようになったんですよね。この人が適当だから、少しずつ「それでいいんだな」って思えるようになった。大事な言葉、って聞かれてそれが思い浮かびました。

慶)適当、っていうか適量ね、いい塩梅!俺は「なるようになる、大丈夫」で生きてるからね。下調べはするけど、深くは考えない。どんなことも起こってみないとわからない。

歩美)私、昔は「何とかしなくちゃ!頑張らなきゃ!」だったんですけど、大変でもなんとかなるぞって思えるんですよね。だから今、「適当、いい塩梅」が、大切な言葉になっています。

これからのお店について改めてお聞かせください。

慶)10年のタイミングで改装して、お客さんとの距離がより近くなるようカウンターを作りました。これが今の時点で目指す店そのまんまです。常連さん、お客さんと会話をしながら、やっていくお店。

歩美)そう、そして私たちも無理はしない。お店をやってて楽しいと感じる、今が続けばいいなって思ってます。遡って考えても、今が一番楽しいなって思うので。

慶)うちらはカフェで育ちましたけど、時代が変わって今の形に店を変えました。10年後また、世の中がどうなってるのかもわかんないですし、うちらが10年経って考え方が変わってる可能性ももちろんある。ゴールは、まだまだふわっとさせてます。でも、お店で楽しいと思うことをしながら、2人で、いい塩梅でやっていきたいですね。

 


RHINO(2013年6月18日オープン/盛岡市開運橋通2-33
Instagram @rhino_morioka

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