FA店 raum
2024/11/30
10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。
堺田佳代子さん/raum
⸺佳代子さんのご出身は?
佳代子)一戸町出身できょうだいが4人です、姉姉兄、わたし。実家は茅葺き屋根の家だったの。茅葺きとか薪ストーブとか炭こたつとか今考えれば貴重な経験なんだけど…当時は本当にイヤで(笑)。好きな人にフラれたときも「うちが茅葺きだからだ」って思ったくらい。
中学校の時は卓球部。地区では優勝するくらい強かったんです。県大会も1回戦、いや2回戦まで進んだかなあ。だから、同世代の人には「鳥海中の卓球部って強かったですよね」っていまだに言われます。当時の顧問も厳しい女の先生で。その先生がHolz(夫の店)に来てくれて話したのが「中学生だった佳代子さんに『じゃあ、先生がやって見せてくださいよ』って言われたことがある」っていうエピソードで。怖いけど愛のある先生だったの、その先生にそんなこと言ってたなんて…当時の私、コワッ!と思いました。
⸺高校時代は?
佳代子)スキー部のマネージャーです。兄ちゃんが野球やってたから、本当は野球部のマネージャーをやりたかったけど通学時間が長くてダメって言われて、知ってる先輩もいるし、まあいいかくらいの気持ちで入部。でもすごく面白かったんだよね。冬に1か月くらい合宿するんだけど、その時のご飯づくりとか洗濯とかが。
うちは4人きょうだいだけど上の姉2人は就職や進学で家をでていたから、わたしと兄ちゃんだけになって。両親も働いていたし、家のことができるのは私だけだったので、家族のご飯も作っていました。大人になってから再会した友達からは「佳代子と放課後遊んでいると、夕方5時になるといつも『ごはん蒸かさなきゃ』って帰っていった」って言われて笑っちゃった。(ご飯を蒸かすっていうのは)うちはガス窯だったから、朝に8合炊いておいて、夜食べるときには温めなおして食べてたから。朝のご飯はお母さんが炊いて、夕方の温めなおしはわたしがやって、味噌汁をつくって。
雑貨もずっと好きでしたね。一戸にね、女子中高生は必ず行ってたプチエルカっていう雑貨屋さんがあって。あわよくば「プチエルカのお姉さん」になりたいって思っていました。
⸺ごはんを作ること、家事をすることの中に楽しさがあったんですね。高校後の進路は?
佳代子)姉の旦那さんが郵便局員なんだけど、それを母がすごく喜んでいたのを見て、「公務員っていいなあ!」って思って、わたしも郵便局員を目指していたんです。OL、というか事務系の仕事をすることに憧れがあって。でも決めかねていたときに先生から「堺田(佳代子さんの旧姓)、川徳受けてみたら?」って言われて、試験を受けてみることにしました。川徳百貨店に就職したのは1995年、cube-Ⅱができた年ですね。そこで出会います、平山(夫でHolz店主)と(笑)
入社したあとは地下1階のお菓子売り場に配属になりました。小さい頃、チラシでカセットテープをラッピングして遊ぶのが好きだったなあって思い出しながら、川徳で包装の練習をしていましたね。すごく楽しかったです。同期の転職や結婚、平山が東京で働き始めたこと、自分も雑貨屋さんで働いてみたいと思ったことなどいろいろなタイミングが重なり5年勤めて退職しました。川徳は販売の楽しさを教えてもらった場所。
その後勤めたのがSAZABYという会社。雑貨店に配属され、勤務地は横浜ルミネ。駅ビルだからすごく忙しくて路面店とは違う大変さもありましたがいい経験になりました。辞める1年前くらいには社員登用され、銀座で勤務も。…なかなかしんどかったです!社員は大変だった、スタッフが40人くらいいたからね。24歳から3年勤めました。
岩手に戻ってきてからは平山の実家がある宮古市へ。地元の家具屋さんで働いたりしていましたね。2月29日に結婚しようって決めてたんだけど、1月に菜園のHolzの物件が見つかって「俺は店を出すから盛岡に行きます」って話になって。だから2月29日に入籍して、3月1日には別居(笑)
⸺佳代子さんだけで、宮古の義実家での暮らしたんですね。
佳代子)そう。お義母さんが亡くなったばかりだったから宮古を出る選択肢はなかったです。高校生だった義妹が卒業するまでの1年は宮古にいることにして、結婚早々に週末婚がスタートしました。宮古の義実家で暮らしていたとき、ご飯の好き嫌いがはっきりしてた義妹が、調理方法を変えたら苦手な食材を食べてくれたときの嬉しさとか、みんなにご飯を作って喜んでもらうことが楽しくて、盛岡に引っ越してきてからは飲食店で働きました、28歳の頃でしたね。あ、あと、さわや書店でも掛け持ちでお仕事を。
⸺え、いきなり本屋さん。
佳代子)そうそう、本屋さんでも働いてみたかったんです。書店員ってのんびりしたイメージがあったけどすごくハードでしたね。わたしは漫画の担当で、8時半から13時のパートだったんだけど、社員さんが出社する前に本を透明なフィルムで包装する作業が大変でした。
3年くらい勤めた飲食店では調理師免許を取りました。それを無駄にしたくなかったのもあって、raumを始めるときに「物茶店」にしたんです。お店で扱う器を実際に使って試せるのもいいかなと思ったし、喫茶店だけでもなく、物販だけでもないっていいな、って。
Holzが始まって5年で、Holzを手伝うことになったの。でも、24時間一緒に同じ店にいるって私たちには難しかった。今考えると「申し訳ありません!」って土下座したい気持ち…。彼が5年積み上げてきたHolzで、普通のスタッフじゃ言わないようなことも「家族だから」つい言っちゃって、嫌だっただろうなって反省してる。そんな中でraumの物件と出会ったことが平山家にとっての救世主だった気がします。この建物を初めて見たときに「あ、ここでお店をやるんだ」って想像がすぐにできて。古かったけど、そんなに嫌じゃなかった、もっと古いところに住んでいたこともあったからね。それよりもとにかくワクワクして。その日のうちに「ここを借りたいです」って不動産屋さんに話しました。
佳代子)お店の内装は当時から変わっていません。どこかを変えたいっていう気持ちもそんなにないかな、ずっと気に入ってます。(キッチンを指差して)ここもね、全部見えるのは恥ずかしいけど、私1人のお店だからお客さんの様子は確認したいって平山に伝えて、そしたらここにガラスのスリットを入れて様子が見えるようにしてくれたんです。
入り口の左側にはカフェスペースが6席くらいありました。詳しい当時の様子は「Holz日記」で読めます(笑)
喫茶店って言うとさ、飲食がメインって感じがするじゃない。そうじゃなくて物販がメインですって表現したくて「物茶店」って名前を平山がつけてくれた。オープンの頃は宮古の相馬屋のクリームパンとコーヒーを出してたけど、カフェではなかったしね。当時の写真を見ると、商品の数が今よりずっと少なくて(笑)信じられないなって思います。
⸺Holzで一緒にお店に立った時期の違和感、がなかったらraumはなかったんですね。
佳代子)平山的には、Holzでエフスタイルの商品の接客をしてるときの私が生き生きしてたんだって。それをちゃんと見せられる場所をいつか作ろう、という気持ちはあったみたい。raumの物件に出会う前には、家を建てて、ショールームのような場所を作ろうかっていう選択肢もあったからね。6月までほんとに家を建てるつもりで、ローンが通るか?って悩んだりしてて、7月に物件を見つけたあのとき、「本当に神様っているんだね」って思いました。いや…思い返しても、これが正解。家をゼロから建てていたら、今の幸せはなかったんじゃないかな。raumっていう場所があることが私の幸せ。ほんとうに感謝です。
⸺オープンの日はどうやって決めたんですか?
佳代子)大安で、カレンダー的にも良かった日でした。あと、今はなくなっちゃったけど、ご近所のラーメン屋さんが11時31分オープンだったの。だから、11月1日の11時1分にオープンしたら面白いね、って、それで決めました。
当日のお客さんはほぼHolzから来てくれた人だったね。今みたいにSNSもないし、ブログでしか声かけてないから。オープンして1ヶ月ぐらい経ってから、フライヤーを作ったの。「raum、はじめてました」って。
ロゴは、屋根と壁をイメージして平山のお兄ちゃんが作ってくれて。言葉にしなくても多くをわかってくれる新潟のヒマラヤデザイン、ずっとお世話になっています。
佳代子)オープンしてすぐの頃はあれもこれもやりたくて、raum一戸展とか。私の同級生の織りをするおばあちゃんの作品を借りて販売したり、近所のお母さんに作ってもらった「へっちょこだんご」とかを用意して、うちの母にウェイトレスになってもらったり。
もともとraumでは宮古と一戸、両方の地元のフードやクラフトを取り扱いたいねって言ってたから。地元を見直そう、て言って宮古のサーモンマラソンに出たわけよ、平山が。そこから彼のマラソン人生が始まるから、raumも「走る家具屋」誕生のきっかけのひとつだったはず(笑)
オープンしてからは、ずっと木曜日が定休。最初は19時まで営業していました。夜は外からすごく綺麗に見えるの、お店の中が。散歩のおじいさんが毎日コーヒーを飲みに来てくれて、一緒に俳句を詠んだり。そういうコミュニケーションもおもしろかったなあ。
⸺10年の頃は?
佳代子)息子が5歳の頃かぁ。10年の頃はコロナ前だったし、セーブすることも全然なくて、ワクワクしかなかったです。イベントもいろいろやって、とにかく「楽しい」一色の毎日でした。まだ、未来がそこまで現実的ではなかったというか…。
仕事と子育てのバランスはいつもちょっと悩んでます(笑)保育園で作った母の日のメッセージカードに「お仕事してるときの母ちゃんかわいいよ」って書いてあったのもraum10年の頃。息子にとって、お店にいる母ちゃんと家にいる母ちゃんは違うんだなあ、って考えたり。
raumって認識してるお客さんも増えてきたなと感じ始めた頃でもあります。Holzの姉妹店と知らずに入ってきてくれるのも実はちょっと嬉しい。初めての人は、看板もないお店に入るの勇気が要るよね(笑)ずっと言い続けているけど、看板を付ける気はちゃんとあるんですよ!
⸺印象に残っている言葉、教えてください
佳代子)raumの前が小学校の通学路で「大人になったらここで買い物をしたいって小学生の頃から思ってた」って言って買い物にきてくれていたお客さんが、去年うちで結婚指輪を買ってくれたんですよ。感動しましたね。近頃は、raumで結婚指輪を買って、家を建てて、家具をHolzで買って、子供が産まれてみたいな方も何組かいて。20年ってそういうことなんだよね。お店を忘れないで、また利用してくれるっていうのがほんとうに嬉しい。
⸺これからのraum
佳代子)「これがあるから今日頑張れる」とか、「仕事終わったらこれで癒されよう」とかそういう気持ちになれるものに出会える場所でありたいですね。去年くらいから蔵を使って出張ショップをする「クラウム」を始めたんですが、それが今はすごく楽しいです。蔵、好きなんですよね。これからもいろんな蔵で開催したいな。あとは…元気で健康で…かな(笑)それに尽きますね!
raum(2009年11月1日オープン/盛岡市大館19-6)
Instagram @raum2009
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