盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

盛岡という星で 盛岡という星で

FA店 穀

2024/8/28

 

     

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

大村良平さん、千明さん/穀


 

千明さんのご出身は?

千明)私は青森県出身です。函館にある短大の食物栄養学科と、調理師専門学校の夜間課程に通いました。高校生のとき、友達から言われた「ちーの弁当はいつも茶色いね」という一言が進学を決めたきっかけです。ほんとに茶色いなと思って、どうやったらかわいいお弁当になるか試行錯誤したけど、ぜんぜん上手にできなかった。町に一軒だけあったコンビニのお弁当が彩りがよくてキラキラして見えて「将来、あのコンビニのお弁当の商品企画をする人になりたい」って先生に相談して進路を決めました。

東京に行きたい気持ちもずっとあったので、東京で就職活動をしましたが、ピンとくるところがなく、就職ではない形で食の世界の現場を見てみようと思いました。それからいろいろな飲食関係の職場でアルバイトを。その間、まかないがある仕事が多かったので自炊をしてなかったんです。そしたら体調を崩しちゃって。これは何か変えないといけないと思い始めた頃「まかないが玄米です」って書いた求人情報を見つけました。「玄米イコール体にいい」っていうイメージがあったから、ここで働いたら体の調子が良くなるかもって思って働き始めて。そこの先輩からマクロビオティックのことを教わり、こんな世界があったんだとすごく感激しましたね。私はそこから自然食に夢中になりました、もう一気に。

それからお休みのたびに自然食品店に行って、調味料を1個ずつ変えて、洗剤を変えて、暮らしをちょっとずつシフトしていきました。一番好きだったのが天然酵母のパンとお菓子のコーナー。それで、天然酵母のパン屋で働いてみたくなったんです。その自然食品店に置いてあった埼玉県のパン屋の面接を受けたら受かって、それで東京から埼玉に引っ越しをして。25歳頃ですね。そこで良平に会ったんだよね。


 

⸺良平さんはどんな学生時代を過ごしたのでしょう?

良平)僕は埼玉県で生まれて、大学は神奈川県に進学して、茅ケ崎に住んでいました。海岸まで歩いて10分。アルバイトでめちゃくちゃ怒られて落ち込んだ時は海を見に行ってました。20歳くらいの頃です。

大学の頃は写真部に入っていてバックパッカーが流行っていたので、僕もあちこち行きました。

例えば「ガンジス川が見たいな」と思ったら、ガンジス川の近くにドミトリーの宿をとるんです。で、気づいたらただ散歩だけで2週間くらい経ってて…急いで次の場所に向かう、というような旅でした(笑)宿で出会った人が、「あそこが面白かったよ」って言う場所に行ってみたり。

大学生らしい旅。なんでインドを選んだんですか?

良平)やはりインドには行っておかないと、という気持ちがありました。割と危険と言われていたんですよね。友人もインドでいろんなトラブルに遭っていて大変そうで。これは行ってみなくては!と。

⸺割と危険で、トラブルが起きてるからというのが逆に行きたい理由になったんですね(笑)小さい頃から物怖じしないタイプでしたか?

良平)今も昔も内向的でおとなしい性格かな。小さい頃の趣味はお菓子作りと部屋の模様替え。 大学生時代、友達と遊ぶときはサンドイッチを作って持って行ったりしていました。そういうことが好きな友達が多かったんです、ピザ屋で働いてる友達が生地からピザ焼いてくれたりとか。いい思い出です。


良平)パン屋に勤めるって、専門学校に行ってないとだめだと思っていたんですけど、そんなことなくて。入ったその日からオーブンの前に立たされて、次から次に発酵した生地をがむしゃらに焼いていました、忙しくて何が何だか自分が何をしてるのかわからないまま働いていました。

もう後はない、ここにしがみつかないと未来はないと思っていましたね。自信は本当になくて、でもこれ以外何もやりたいこともないし、やれることもないし、って。

そのパン屋には4年ぐらい勤めました。人がいなかったのもあるんですけど、半年で店長になったんですよね、未経験だったのに。 焼く、成形、ミキシング、クロワッサンの折り込みとか、4年経つ頃にはしっかりやれるようになっていました。 だからちょっぴりですけど、自信は芽生えたような気がします。

転職を決めたきっかけは?

良平)十分、そこではもうやったな、ちょっと休もうかな、って。それで8ヶ月間ほどヨーロッパに行ったんです。そのときにカンパーニュや、天然酵母のパンに出会って興味が湧いて。で、すごい強運なんですけど、ヨーロッパから帰国して実家の周りを散歩していたら興味をもったばかりのハード系のパン屋があったんです。

千明)さらに、そこのお店がたまたまスタッフ募集していたんだよね。

良平)そう、とりあえずやってみようっていう感じで飛び込んだら、しっかりとしたこだわりを持っているパン屋で。働いてる人たちは千明みたいに、県外から引っ越してきて働いている人が多かった。

そこのお店に千明さんがいたんですね。

千明)はい、ちょっとだけ先輩でした。

良平)(穀の店内にある器具を指さして)あれ、石臼なんですけど、ずっとパン屋で働いてても見たことなかったんですがそのパン屋にはありました。やっていることの意識が高かった。使ってる食材も手に入る限りのオーガニックのものでしたし。

千明)休憩室にはいろんなジャンルの本があって、私にとってはそこが最高の図書館でした。こんな世界もあるんだ、って刺激を受けた場所です。今の穀は、そこで感化されたことがベースにありますね。

そのパン屋は都内の自然食品店にも卸しているので、すごい数のパンを作ってて、あまりの忙しさで私はちょっと疲れちゃって。たくさん刺激を受けたし、楽しかったんですけど、辞めて、産婦人科の調理の仕事や、自然食のお店のお手伝いをしたり。その頃には良平とは同棲していましたね。


良平)結婚してたんじゃない?

千明)結婚してたっけ?忘れちゃった(笑)早かったよね、意気投合するのは。産婦人科で働きながらも、いろいろ考えさせられました。お母さんが食べたものが赤ちゃんの栄養になるわけじゃないですか、調味料や、食材も。自然食系の職場が長かったので結構ギャップはありましたが、自分にできることは、心を込めて作ることだなって思っていました。とにかく丁寧に作ることだな、って。

調理師専門学校は卒業してたけど、お菓子を作るようになったのはパン屋に入ってから。そういう世界もあるんだなって思いました。店を辞めてからもマクロビオティックのことはずっと頭にあったから、自分の体にも負担がないものを作りたいなと思って、家でいろいろ作っていました。良平もやってたよね。

良平)そうそう、自分で酵母を作って、オーブン買ってね。

千明)その頃働いているお店に焼き菓子を置かせてもらったら評判も良くて。いけるかもしれないな、って。今思えば、穀のはじまり。それで、そろそろ2人でお店をやりたいねって言って、実家のある青森に引っ越しました。


千明)でも、青森はいまいちしっくりこなくて。せっかく東北にいるからって、盛岡に立ち寄ったときに、「ここは今まで見た感じとちょっと違うかも」って思った。

良平)僕は中津川を見た時にいいな、と思った。その日の夕方たまたま、よ市があって。3日くらいの滞在でもう決めちゃったよね。

千明)初めて盛岡に来たのが20086月で、その年の12月には穀をオープンしていました。

すごいスピード感。

良平)いかに直感で生きているかが分かりますね(笑)

千明)オープンするときも、私達は携帯やパソコンを持っていなかったので、お店の前に張り紙だけして。

⸺オープンの日はどんな感じでしたか?

千明)工事の業者さんがブログで紹介してくれたので、それを見た方が来てくれましたね。その後に全国紙で取り上げてもらえて、その影響もあって、ちょっとずつお客さんが増えていきました。その頃はオーブンもまだ小さくて。でも品数は増やせるように頑張っていました。

良平)あの頃は早起きしないと難しかったね。かなり肉体的な負担は大きかったです。少し焼いて、少し焼いての繰り返しで。営業時間も当時から試行錯誤しています。子どもが生まれて、またちょっと働き方を変えて。

千明)良平は子どもをおんぶしながらパンをオーブンに入れてたよね(笑)その当時から今も来てくれているお客さんもいます、ありがたいですね。


今の場所に移転したタイミングは?

良平)ありがたいことにだんだんパンがよく売れるようになって、売り切れで早く閉めることも増えていたんです。それで移転を考えるようになりました。今のお店の場所も、ちょっと広すぎるって思ったんですけど、やってみるのもいいかな、って。

千明)6坪から30坪に広さは変わりました。初めは大好きな自然食品を広めたいなと、カフェをやったりもしたんですけど。パンとお菓子に専念したいっていう気持ちが出てきたのと、コロナと重なって、今の形に。その頃は週5日くらいお店を開けていました。

⸺ちょうど10年経つ頃がコロナの時期だったんですね。日々の時間の使い方は変わりましたか?

良平)体力的には楽になりました。心のゆとりを持って、仕事も自分たちが納得できるものを作りながら。身体的にも精神的にも今が一番いい状態です。そのバランスって誰にも教わらないし、人それぞれだし。落としどころって自分たちで見つけていくしかないから。

千明)壁もありがたいなって思うんです。今までもいろいろあったけど、ぶつかるたびに、さらに良くするためにはどうしたらいいんだろうって、考えて、考えて。それで今に至るので、これからもまた、壁というか、「壁と思われる現象」が起きると思うけど。そのたびに良くなっていけるんだって、自分の経験上思います。

良平)実際に体験してるその瞬間はめちゃくちゃ落ち込んでしまうけど。

千明)ね。でもあれがあったからこそ今がある、みたいな。


これからについて聞かせてください。

良平)今までもちょっとずつ来たんで、これからもちょっとずつ進んでいきます。学びを得て前に進んでいく、という感じ。

千明)並んでくださるお客様のことを考えると、営業時間も長い方がいいのかもしれないんですけど。私達はちょっと不器用なところもあるので。今のところはこのやり方で。

⸺「印象に残っている言葉ってありますか?」って聞いた時、ないなあってお答えいただいたんですけど。二人とも新しい場所に行くとか、新しいものに出会っていきたいという気持ちはベースにあるんだなあと感じました。

良平)軽やかでいたい、ということは思っています。結局、今やっていることって過去の何年か前の自分が決めたことで。それをずっと守り続けるっていうのも。穀は伝統あるお店でもないし、だったら今の自分が考えたことを実行していった方がいいんじゃないかなっていう考えはあります。

千明)これから先のことはまだわからない、自分たちがどうこれから気持ちが動くのかもわからないし。とりあえず、今楽しいって思えることを続けていくだけかなって思っています。無理をしないで。


穀(2008年12月20日オープン/盛岡市菜園1-6-9
Instagram @kokubakery  @kokubakery_sweets

 

FA10 バックナンバーはこちら