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盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 kiitos

2024/7/21

 

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

大森久さん、大森明子さん/kiitos


 

⸺お店を始める前のお二人について教えてください。

久)私は滝沢市の出身です。食べることがとにかく大好きな子どもでしたね。実家は農家で、学校から帰ってきても家に両親がいなかったので、自分でドーナツやホットケーキを作って食べていました。花屋の前は調理師を目指して勉強していたんです。今はすっかり片付け担当で、料理は作ってもらってばかりですけどね。

でも、あるとき街中で花束を持って歩いているおじさんを見かけて「あ、素敵だな」って、みとれてしまったんです。すごくかっこよかった。それがきっかけで、花屋っていう仕事もあるんだよな、若いうちにやりたいことをやらなきゃだめだな、と思って。そこから花屋で働き始めました。社会人を4年ほどやって、最初の花屋さんに勤め始めたのが23、24歳の頃。1つ目の店で4年。2つ目の店で12年。kiitosを始めてから16年…なので、花屋業界に入ってからは30年ちょっとになりますね。…そんなに経つんですね、自分でも驚きです(笑)

     

明子さんはどんな学生時代だったんでしょう?

明子)私は高校を卒業して、東京にある花の専門学校に進学しました。東京に行きたいっていう気持ちも大きくて(笑)「将来の夢は花屋さん」って言い始めたのは中学生の頃。勉強はそんなにしたくなかったし、大学に進学したい気持ちもなかったんです。親もお花が好きで、ガーデニングをしたり、家の中にもいつも花が飾ってありました。母親が習っていた生け花教室にくっついていって、一緒に習っていた影響もあったのかもしれません。

東京での就職は考えなかったですか?

明子)私は東京には住めないな、と思いましたね。何をしていても疲れちゃう。ぎゅうぎゅうの電車で通勤して、夜遅くまで働いて、また電車で帰って。一人暮らしは楽しかったけど、住む環境としてはちょっとしんどいな、と。だから「就職は盛岡でしたい」と思っていました。

盛岡に戻ってきてからは切り花がメインの生花店で3年働いて、そのあと鉢物をメインで扱っているお店で1、2年働きました。切り花だけ、鉢物だけじゃ独立できないなっていう気持ちもありました。鉢だったら育て方もお伝えしたいですしね。これは日に当てた方がいいとか、逆に日に当てない方がいい、とか。盛岡は寒いので冬越しできるか、できないかも大事です。そういうことをしっかり知識として持ちたかった。

 

ご結婚してから独立を決めたのでしょうか?

久)結婚してから3年経ったころに、独立して2人で店をやろうかっていう話になって。まだ若かったので、今からだったら借金をしてもどうにか返せるだろう、と。

明子)自己資金だけじゃどうしても足りなくて、政策金融公庫に行きました。築50年近い建物だったので、コスト減と雰囲気を考えてアンティークっぽく内装をまとめました。換気扇を付けようと思って工事を頼んだときに「断熱材が入ってないよ、ここ」って言われて(笑)どおりで、すんごい寒かったですね。花を凍らせるわけにはいかないし必死でした。

⸺2008217日のオープン日はどんなふうに決めましたか?

久)花屋って3月が繁忙期なんですよね。だから、1ヶ月前にオープンさせてうちの名前を覚えてもらいたいな、と思ってオープン日を決めました。

明子)雪も積もっていてめちゃめちゃ寒かったです。反射式の石油ストーブを置いていました。自分たちのいるカウンター側にはストーブはつけてなくて。お客さんと花があるところに1台だけ。服を着込んで、さらにヒートテックで完全防備で。

改装前はもっと広かったんですよ。前の道路ギリギリまでお店があって、後ろも川のギリギリまでありましたね。

久)チラシは配って歩いたね。自分たちで印刷して、このあたりのお家にポスティングしました。「花屋をオープンします」って。当日は知り合いもたくさんきてくれましたね。

明子)道路を挟んで向かいにあるのが岩手大学の教育学部に繋がる入り口なので、彫刻や芸術のことを勉強している学生さんが「通学路にあるお花屋さんだったから入ってみようって思ったんです」って来てくれたりもしました。道路をひょいひょいっと渡って。ときどき来て、切り花を一輪買っていくんですよ、かわいかったです。本当に。

久)うん、学生さんは結構来てくれたね。後輩が先輩の卒業展示に贈るお花を注文してくれたり。そのあとコロナがあって、会社でも学校でも花を贈る習慣を上司や先輩から教わっていないっていう状況ができてしまったんですよね。送別会の幹事になっても会場の予約は取るけど、お花は用意していない、とか。今まで習慣として継がれていたことが途切れてしまった。それは寂しく感じます。

あ、そろそろ配達の時間なので、私はここで失礼しますね、続きは店長に聞いてください(笑)

オープンしてみてどうでしたか?

明子)不安の方が強いけどやるしかないぞ、やるしかないんだって感じですよね。2人で始めちゃったからね。どちらかが会社勤めだったりして、別の収入源があればいいけど、そうではないので。でも、私1人じゃ絶対できないし、旦那さんもそう思ったんじゃないかな。

 

改装があったのが5年前ってことは、ちょうど10年ぐらいのときですね。

明子)改装の知らせをオーナーさんから聞いたときは「わー!」という気持ちでした。

それは嬉しい「わー!」?びっくりの「わー!」どちらでしょう?

明子)どっちも?かな(笑)改装後は16坪から12坪になったんですが、予想していたよりもちょっと狭く感じました。

花屋に合う物件って飲食店とも違うんです。日当たりについて言えば、西日が当たるのは、植物にとってはちょっときつくて。午前中はなるべく太陽の光が入って、午後は入らないようなところがいい。最初、この場所を選んだときは、大通り付近は他のお花屋さんもあったし、岩手大学の近くはいいなあと思っていたのが大きいんですけど、日当たりがちょうどいい路面店、というのも決め手でした。今はなくなってしまったけど、お隣には美容室がありました。

10年経って、独立のときに借りたお金をやっと返しきって、「よし、ここから再スタート」というタイミングで建物の改装があったので。店内の什器の雰囲気も、思い切って変えました。

明子)花屋さんの仕事って、お客様のライフスタイル、ライフイベントと直結するなと思います。家に飾ろう、とか自分のためにお花を買おうって思っていた人でも、赤ちゃんを産んで、子育て真っ最中はお花の優先順位が下がってしまう。

でも、SNSなどの影響もあるかもしれませんが若い世代のお客さんでお花を買いに来てくれる方がまた増えてきていますね。暮らしを大事にしているということなんでしょうね。すごく嬉しいです。

 

⸺大切にしている言葉はありますか?

明子)店の名前のkiitosは、フィンランド語で「ありがとう」という意味で。フィンランド、というか北欧への憧れもあったので店名にしました。いつも感謝の気持ちは忘れないようにしたいし、お客さんから「ありがとう」って言われるとやっぱり嬉しい。大切にしたい言葉ですね。

これからのkiitosについて教えてください。

明子)そうですね、変わらず、2人でゆっくりと、です。最後まで誰も雇わないと思います。繁忙期だけお手伝いに来てくれる方がいるのでその方だけ。もう1店舗増やすとか、大きくしようとかそういうのもないですね。うちを選んで来てくれるお客さんと、この場所でずっとお店をやっていきたい。

お花をプレゼントする習慣は増えていってほしいです。お花だからこそのロマンチックさ、ってあるんじゃないかな、食べものでもなく、ずっとあるものでもなく、そのひとときだけ。だからこそ心に残ると思うから。


kiitos(2008年2月17日オープン/盛岡市館向町3−2
Instagram @kiitos_apo

 

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