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盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 Holz

2023/8/15

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

平山貴士さん/Holz


 

⸺ お店のオープンまでの話を教えてください。

オープンは2004年の3月27日。盛岡に物件を見つけたのが2004年の1月10日ぐらいで。そのときはまだ宮古に住んでたから、「今年中に店をオープンできたらいいな、できたらラッキー!」ぐらいの気持ちで、とりあえずリサーチで盛岡にきたの。それで、桜山のところの中央不動産が目に入って。で、「このくらいの広さでこのくらいの家賃で…。」みたいな話をのんびりしてた。

多分だけど、この若造は本気でやる気があるのかどうかっていうのを見てたんじゃないかな。当時まだ26歳だったし。

1時間くらい話してたら、「この物件は年末に空いたところだよ」って奥の方から出てきたのが、今のHolzの建物。店をやるとしたら宮古から引っ越さないといけなかったし、ここは風呂はないけどトイレはある。ダメ元で「2階に住んでもいいすか?」ってきいたら、いいよって。家賃、予定よりは高かったんだけど、住居兼って考えたらありだと思って、お金全然なかったのに「借ります!」って即答した。

店を始める直前の1年だけ宮古の実家にいたんだけど、3、4ヶ月だけ大工の見習いをやってた。そもそも店舗の内装デザインにも、東京の家具屋で働いてた頃から興味が湧いてて。宮古だと店舗内装を専門にやってるところってなかったから、友達の家がやってる工務店で大工の見習いをさせてもらったの。その間も、鉄と木の組み合わせの、今のHolzの商品に近いものも作ってた。でも、東京から戻ったばっかりで、田舎にちょっと馴染めない感じもあって。

オリジナルで家具作ってる、って話すと、「家具作ってるって何?職人なの?そんなの食っていけるの?」って聞かれるわけ。職人ではないんだけど…とか答えつつ、なんだかなーという感じもあったかな。コンビニの深夜バイトとか店始める1ヶ月くらい前までやったよ。

 

⸺ お店を始めるのって怖くなかったですか?

ああ、怖くなかったね、そのときは怖くない。もちろん不安はあるよ。お金もほぼなしでスタートしたし。でも、いずれやろうと思ってたことだから、しょぼくても自分の城を持てるっていう嬉しさのほうが強かった。それから銀行に行ったり、それも大変だったけどね。借りたかった額の半分しか借りられなかったよ。若いし、深夜コンビニバイトだけで、貯金ほぼ無しだしね(笑)。

でも、21歳のときから東京で働いてて、あっちで3,4年働くと「俺、いけるぜ、できるぜ!」みたいな気持ちになるわけ。店を始めるくらいまではできそうだ、という自信はつく。ただ当たり前だけど、実際に店をやってからの方が大変。始めてみないとわかんないんだよね。それでも「怖くない」って思えたのは若さだねー。

30代とか40代になって同じことをやろうとしたら絶対怖いとおもう。今、オープンした頃の写真を見ると「よくこれで店を始めたな…」って思うのと同時に「すごいな」って思う。このストイックさは今はできない。経営面で考えたら「こんなん絶対無理じゃん」って思う商品のラインナップなのよ、品数も少ない。でも「すごくいい店だったなあ」って。

 

⸺ オープン当日はどんな様子でした?

オープン当日は…あ、一番最初のお客さん覚えてるよ。当時は4,5人しか盛岡に知り合いがいなかったんだけど、そのうちの1人、大先輩のLittle Wings樋口さんと息子のあさひくんがお客さん第1号。

オープンから最初の1ヶ月はご祝儀月だったね。それでも思い描いてた金額と比べると、売上はギリギリだった。その後もしばらくの間辛かった。まずは3年、頑張ろうと思うじゃん。周りからもそう言われもするし。でも正直2年目が本格的にきつかったかな。

シビアな話、いろんな返済も始まるから。2年目は「今月家賃を払えるんだろうか」「仕入れの分今月末払えるんだろうか」って考えてる日が続いた。でも、それだけは絶対に払わなきゃいけないから。当たり前だけど遅れることなく払ってた。

借りたものは返す、払うものは払う。あ、でも、1回だけ遅れたことがある。東京時代の先輩の会社に「数日支払いを待ってほしい」って言ったときに、「全然いいよ、つらいときは言いな、それわかんないうちに潰れてしまう方が困る。長く店をやってほしいから、そこは我慢しないで言え」って言われて救われた。2年目か3年目の頃だった。きつかったけど、絶対どっかで分岐点が来るはずだと思いながら、我慢して我慢して。でも最初に目指してた3年を過ぎても楽にならなくて(笑)なんも良くならねーじゃん!って思ってたんだけど、3年半ぐらいの時に、大きな出来事が2つあったの。

1つは、IEMONOができたこと。この南部鉄器のシンプルな五角形の家型ペーパーウェイトがヒットして、看板商品になった。Holzのことを知らなくても、東京に行くと「IEMONOを作ってる店の人?」って言われるようになって。これはめちゃめちゃ嬉しかったね。もう1つは、「ふらっと店にきて、めちゃくちゃ家具買って帰る神様みたいな人いないかなあ」って冗談で友達に言ってたら、初めてそういう人が来た(笑)

そんなわけで、オープンしてから3年半が1回目のターニングポイントではあったかな。このまま行けるのかはまだわかんなかった。けど、とりあえず何か変わった。

 

⸺ 10年経った頃はどうでしたか?

5年経たないくらいかな、カミさんがHolzを手伝い始める少し前の時期にリーマンショックが起きた。うちの店は規模的にもあまり関係なさそうな話なのだけど、半年ずれるかずれないかくらいのタイミングで、3ヶ月間くらいのホルツショックがあって(笑)。これはやばい、何か斬新な一手を打つしかないな、と思った。で、家を建ててその家の中をモデルルームみたいにみせようか、という話なんかもあった。そんなとき偶然今のraumの物件をみつけて、もうひとつ店を持つのもいいなって思った。家と店が一緒であれば家の事はやりやすいし。一回カミさんにも見てもらって「この物件を借りたいです」っていう意思はその日のうちに不動産屋に伝えたよ。

それでHolzが6年目のときにraumがオープンしたんだよね。そこで流れがまた変わったなあ。ホルツの10年の頃はラウムは5年目。どちらのお店もわりといい状態だった。年齢も30半ばだから、家族のこと、自分たちのことも含めて自由に動けた。盛岡の他の個人店との交流も増えた時期だね。

 

⸺ 10年目は穏やかに迎えられたんですね?

穏やかではあったけど、10年から15年の時期って怖いなってずっと前から考えてたんだよね。10年だ!って1回盛り上がっちゃうと、お客さん的にも「10年経ったからあのお店は大丈夫だね」って見られ始める。

 

⸺ 老舗ではないけど、独り立ちしてそうなお店として。

そう、お店で話すお客さんの反応も2パターン。新しいお店を発見した!みたいな感じで「いつからあるんですか、何年目ですか?」って聞かれるときと、前からちょっと知ってて「何年目ですか、結構前からありますよね?」のときと。でも基本的にFA店ってあんまり聞かれないのよ。年数のことはあまり気にされなくなるのかもしれない。良くも悪くも(笑)人間でも赤ちゃんのころは何歳?って聞かれるし、80、90歳になると「おばあちゃんいくつ?お元気ですねー」って言われそう。FA店の年代は年齢への興味より、今やってることへの興味を強くもたれる時期なのかも。

 

⸺ 平山さんがお店を続けてきた中で印象に残ってる言葉はありますか?

わりと最近なんだけど2,3年くらい前に聞いた「選択・集中・妥協」。滝沢出身で箱根駅伝のランナーだった阿部飛雄馬くんの言葉で、「妥協」が自分にとって新しかった。やることが多くて収集がつかないときや、いろいろ考えすぎたとき、「選択・集中・妥協」っていうのを考えるとすっきりする。損益分岐点と同じで、無理なのにその先どんどん頑張ってやってもしょうがない。それ以上は意味がないときは早めに切り捨てる。でも、早めに切り捨て過ぎちゃうとただの妥協になっちゃう。その言葉を知ってからすごく生きやすくなったな。コロナ禍だったのもあるけど、定休日も増やしたよ。

 

⸺ これからのHolzの話もきかせてください。

自分も含めて、個人店の店主はだいたい「元気なうちは今の仕事をやりたい、今の店をやりたい」って思ってるんじゃないかな。俺もあと20年ちょっとは、最低でもやりたいと思ってる。走る家具屋だし、マラソンに合わせて42年間、42キロ(笑)。26歳のときにオープンしたから、68歳まで、かな。仮にゴールを設定するならば、の話だけどね。一応でも、目安があった方が働きやすい。次の10年は、42年間店をやるという仮設定の中での20〜30年、って思うと、すごく大事な時期だなと思ってる。

去年、ミナペルホネンの展覧会で見つけた言葉で『変わり続けることをずっと変わらずにすること。変わらないでいることが変わったことになること。』という言葉があって、何に対しての言葉だったかははっきり覚えてないんだけど、めちゃくちゃひっかかった。俺は基本、変わりたくないタイプなんだけど、変わらずに店をずっと続けたいから、きっと今後、変わらなければいけないこともたくさんあるんだろうなと思う。

10年後、普通にここにいたい。普通にHolzとしてここに立ってることが最高の幸せだから、変えたくないものはHolzという店だから。そのためにも頑固と変化のバランスが大事だなって思ってるよ。

 


Holz  (2004年3月27日オープン/盛岡市菜園1-3-10)
Instagram @holzhirayama