FA店 shop+space ひめくり
2023/10/3
10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。
菊池美帆さん/shop+space ひめくり
⸺美帆さん、ご出身は盛岡ですか?
実家は盛岡で、でも父も母も盛岡出身じゃないので、あんまり盛岡生まれとか盛岡育ちっていう感じはしないんです。生まれたのは母の里帰り出産で前橋(群馬県)だし、子供の頃に引っ越しもあったし。小学校3年生からは盛岡に10年、そのあと東京に11年住んで戻ってきました。
大学進学で東京に行って、そのあと盛岡にUターン就職したつもりだったんだけど、またすぐに転勤で東京に。向こうで7年働きました。戻ってきてから23年経ってるから、一番縁がある場所は盛岡なんだ、という感じです。
⸺ひめくりをオープンした頃のこと、教えてください。
2000年に転勤で盛岡に戻ってきた頃に某雑貨店ができて、「かわいいものがたくさんある!」って思いながら、時々店に足を運んでいました。店主さんはあんまり愛想がないというか、放っておいてくれるので、こちらから話しかけることもなく…という感じでしたが、後々私がお店を始めるというときに、相談できる存在になってくれて、そういう人がいたっていうのはありがたかったです。くだらない世間話もしつつお店のことも話せる、そういう人がほかにも何人かいたんですよね、FA店の先輩方とか同期?とか。
ちっちゃい頃からお店をやりたい気持ちみたいなのはあった気がします。小学校の卒業文集に「将来の夢はお菓子屋さん」って書いたりしていたし、好きなものに囲まれて仕事をするっていいなあって。会社員のときは、ラッピング講座に唐突に通ってみたり(笑)、盛岡商工会議所がやっている創業塾というのを受講したりもしました。将来、起業したい人向けの講座と聞いて、誰でも受けられるならと思って。でも玉砕したんですよ。「起業って思っていたより大変だ!簡単にはできないわ」って思いました。33か34歳ぐらいの時ですね。事業計画とか、どこでお店を始めたいかとか、資金はどうするとか、何もわからないから自分の想像だけで書いたら、コンサルタントの先生に鼻で笑われて(笑)。いい思い出ですよ。その後、起業を決めてもう一度商工会議所に行って「場所が見つかったから、何とか11月にオープンしたい」って伝えました。玉砕したときの先生が今度はアドバイザーになってくれて、ちゃんと銀行から融資を受けられるように事業計画について一緒に考えてくれました。
2005年、勤めていた印刷会社で縁のあったデザイナーやライターの人たちが「てくり」を発行しました。「てくり」は、ものづくりや街への考え方もすごく共感できて、楽しみに読んでいた読者の一人でした。自分が40歳を迎える節目の年、まちの編集室のみなさんに「この本(てくり別冊「te no te」)の作家さんの作品を取り扱う場所があったらどう思いますか?」とまじめに相談しました。そしたら、「そんな場所があったらいいなって私たちも思っていたから、美帆さんが本気なら応援するよ」と言ってくれて。それで、ひめくりはまちの編集室がプロデュースに関わっている場所としてスタートすることになりました。
オープン当時は「まちの編集室が経営しているの?」と聞かれたり、「美帆さんもてくりの人?」などと勘違いされることもありました(笑)。でも少しずつひめくりらしさがでてきて、お客さんにもそれをわかってもらえてきているのかな、と今は思います。
⸺ここを見つけたタイミングって?川沿いがいいとか、何か探すポイントはあったんですか。
2010年の6月に会社を辞めたときは、「少しゆっくり過ごして、2011年の春ぐらいからお店を始められればいいな」ぐらいの気持ちだったんですよ。休みの間に行ったことのない町に行ってみたい、手仕事のことをもっと知りたいっていろいろ妄想していたんですが、8月にこの場所を知人から紹介されて「川沿いの物件ってすぐなくなっちゃう(決まってしまう)よ」って言われたんです。この場所はずっと事務所として使われていたそうです。中はもっとグレーな感じでしたね。会社を辞めて2ヶ月で、その時は内装とか、まだ全然お店を始める想像なんてできなかった。
「美帆さんが借りないんだったら、私がこの物件借りる」って何人かから言われ、「わかりました、借りますよ!(でも、私の長期休みは?!)」って(笑)
物件を借りたらなるべく早くお店をオープンしないと。そして、お店を始めたら、休んでいる日は収入がない。今でこそ、スタッフがもう1人いるので、店を任せて自分はある程度自由に動けるようになりましたけど。彼女に来てもらうようになったのは、融資の返済が終わった8年目から。1人での店番も慣れてきて、よし、そろそろ自分は外に動こうという頃にコロナが始まりました。年相応に実家のこともいろいろあったり、一緒に暮らしている猫が高齢だったりで、結局、遠くに出かけることは今もできてないですね。
この場所は自分の意思やタイミングで見つけたのではなかったけれど、結果的に大家さんもすごいいい人だし、やっぱりこの場所で良かったんだなと思っています。場所は若干流れで決めたけど、でも店を始めたのは最終的に自分だし、お金を借りたのも自分。なので、そうですね。逆に感謝です、あのとき背中を押してもらって本当によかったなって。
⸺5年、10年ぐらいのときっていかがでした?
最初の5年ぐらいは家のことが雑になっていました。休みが全然休みじゃなくて。木曜日と、展示替えに合わせて水曜を休みにしていたので今に近いんですけど、1人だったから、用足しを全部お店の休みにこなさないとならなくて。休んでいないこと自体はそんなに苦ではなかったんですけど、余裕がなくてベランダの植物とか結構駄目にしましたね。枯れた植物を見るたび、ごめんごめんって謝っていました。社会人になりたてのときも植物をだいぶ枯らしたんですよね。たかが水やり、明日こそ明日こそって思うんだけど、忙しいと手をかけてあげられなくなっちゃう。10年経って、やっと休みの取り方も自分なりにうまくなって、スタッフも入り、今はしっかり休めるようになりました。植物も元気です。
まずは3年できたらいいな、次は5年できたらいいな、融資の返済が終わる7年まではできたらいい。ここまで来たら10年か?って感じで迎えた10年目でした。そのあとも、10年の次は15年か?っていうくらいで、大きなゴールみたいなのは全然なくて。最終的に各方面への支払いを残さないで終われることが目標かなぁ。自営業だと定年はないけど、70歳80歳で今と同じように店をやっているのかっていうとあんまり想像できないですよね。
自分の気持ちと体力と暮らしぶりのバランスを見て、これからのことも自分で決められればいいなと。何でもそうなんですけど、やっぱり自分で決めて動きたい。やらされたとか、なんとかのせいで、とかそんなふうには思いたくないから。
⸺今も覚えてる言葉ってありますか。
言葉…、本からの一節とか、誰かと話したこととか…考えてみたんだけど、これがずっと心にあるんだっていうのは思い浮かばなくて。忘れっぽいからな、私。
言われると嬉しいから、自分も言うように心がけようと思っているのは「ありがとう」かな。しっかり伝えてもらえると嬉しいですよね。とりあえず一言ありがとうって言ってもらうだけでも、ちゃんと役に立ったんだ、とか、喜んでもらえたんだ、とか、わかったりするから。思ったらやっぱりちゃんと口に出してみようって思っています。全ての場面でですけどね、お店だけじゃなくて家族でも友達でも。
あとは少し意識しているとすれば安定感、ああ、安定していたいなっていう気持ちでは暮らしていますね。すごくハイな状態でもなく、ずっと低めでもなくがいい。SNSを見てくれている人に「美帆さんは心身ともに健康そう」って言われたことがあって、そうありたいと思っているから嬉しかったです。
⸺健やかというか、嘘がない感じというか。
ほら、自分の機嫌は自分でとるんだ、とか言うでしょ。嫌なことをどう忘れていくのか、切り離していくのか。私は、好きなことをやっていると薄れていくんですよね。だから、おいしいものを食べるとか、花を飾るとか、そういうことで自分の機嫌を良くして、できるだけ日々穏やかに過ごしていたいですね。
お店では、お客さんの言動をみていて、本当に悩んでいそうだなっていうタイミングで声を掛けることが多いです。わーっと話しかける、そういうお店ではないと思います。自分がそうされるのが好きじゃないから。それでも結果的に声を掛けたことで、お客さんが気分良くお買い物をしてくれるとこちらもとても嬉しいです。
自分が好きなものを好きだと思ってくれる人が店に足を運んでくれて、まわりの人にも恵まれて今のひめくりがある。だから「特別な目標はないけど、これからもひめくりは、このままの感じでいきますよー!」って思っています。
shop+space ひめくり(2010年11月19日オープン/盛岡市紺屋町4-8)
Instagram @himekurimorioka
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