盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 BICYCLE SHOP GRINS 

2025/1/31

 

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

西田浩二さん/BICYCLE SHOP GRINS         


 

西田さんは盛岡ご出身ですか?

西田)そうです、肴町です。小学校は杜陵、中学は下ノ橋中学校です。高校は岩校(岩手高等学校)、男子校でした。性格はちょっとヤンチャだったかもしれませんね(笑)あとは子どものころから体を動かすことが好きでした。周りの子と比べても活発だったんじゃないかなと思います。

昔、90年代前半に1度目のBMXブームがあって、2度目が90年代後半から2000年初めくらいで、僕が高校生の頃でした。当時はまだBMXってあまりメディアでは取り上げられてなかったけど、友人から「こういうのあるみたいだよ」と聞いて興味を持ったのがスタートです。どの自転車もそうだと思うんですが、「カッコいいな」「乗ってみたいな」というところから始まりました。最初のBMXはたしか…4万円くらいで購入したと思います。当時アルバイトもしてたけど、自転車は親に買ってもらいましたね。

それからもBMXはずっと続けていました。10年くらい前にやめちゃったんですけど…というのも、BMXはハードで体にかなり負担がかかるんですよ。30歳手前くらいの頃、左膝の前十字靭帯を断裂して、そこから同じ系統のマウンテンバイクに移行しました。今はロードバイクや、タイヤが太くてゆったり乗れるグラベルロードに乗ってツーリングしたりしています。

 

ご両親は自転車に乗ったりしてたんですか?家業が自転車屋さんだったり?

いや、両親は全く乗らないですね。もう店は閉めちゃったんですが、祖母の代から続く、材木町の婦人服の店を営んでいました。なので自分で商売をやるということについては抵抗がなかったです。僕は長男ではないし、洋服屋を継ぐことは考えませんでした、まあ2歳上の兄も別に興味なかったみたいですけど(笑)。小さい頃から「アパレル業界は厳しい」って言われて育ちましたしね。

 

お店のオープンまでのお話を教えてください。

高校卒業後、市内のバイクショップで働き始めて、そこでスポーツバイクの担当を任されました。直属の上司が60代だったので、もしその間に30代とか40代とか年齢の近い先輩がいたら経験できなかっただろうなという仕事を20代から任せてもらえたのは振り返るとありがたかったですね。その頃僕が前の店で取り扱いを始めて、GRINSでもお付き合いが続いているというブランドもたくさんあります。

25歳ごろから自分でショップをやってみたいという気持ちはあったんですが、まだまだ色々な面で未熟だと感じていました。でも、働き続けているうちにメーカーさんと直接やりとりをしたり、お客さんもだんだんとつくようになって。30歳の時にそのショップが閉店することになって、「これがタイミングかな」と。いや、もちろんまったく不安がなかったというわけじゃないんですけど、ある程度の自信を持ってGRINSをスタートしました。

2015年1月で退職して、それからGRINSのオープンまでは3ヶ月かかってないですね。飲食店と違ってそんなに設備は要らないんですが、整備や修理の部品や道具を揃える必要がありました。メーカー専用のものが多いので、そこはコストがかかる部分でしたね。あとはどのメーカーもそうだと思いますが、新しい物を出していけばそれに応じた機器や道具が必要になってくるので、今でも常にアップデートが必要ですね。

自転車って基本的には委託販売がないんですよ。展示している商品は全部買い取りしているんです。年数を重ねるごとにラインナップは増えていきますが、あまり仕入れすぎてもキャパ的に無理が出てくる。店を始めた頃も、今も、そのバランスが難しいところです。

 

お店の場所はどうやって決めたのですか?

ぶっちゃけ、場所はどこでも良かったんです。ここを見つけたのは、友人とたかみ屋でご飯を食べた帰り道でした。前は「ゆうきや」という和菓子屋さんだったんですが閉店していて。友人と「店をやるならここでいいんじゃないか?」って話になり、すぐに家主さんのところに行って内見させてもらい、そのまま物件を決めました。インターネット上にもたくさんの情報がありますけど、載ってない物件も多いですからね。そういう意味では自分の足で探して見つけられたのはよかったなと思います。日光の入り方とか、実際見ないと分からないこともあるし。他にも候補があったんですが、住んでいるエリアから遠くするメリットはそんなに感じませんでしたし、近くに自転車屋さんがあっても自分がやりたい店と客層は被らないなと思い「じゃあ、家と近い方がいいじゃん」って。2014年の暮れ頃でした。

広ければ広い方が良いなとは思っていました。正直、今の場所よりももう少し広くても良いですね(笑)物もあふれてくるし、自転車って大きいし、修理でお客さんの自転車を預かると、その置き場所も必要になりますし。仮に事業を拡大して、人を増やしてやるんだったら場所も展示台数も一気に増やしてやらないとだめかなとは考えています。

 

オープンの頃はどうでしたか?

2015年2月20日オープンだったので寒かった、でも雪は少なかったですね。冬のオフシーズンは自転車のメンテナンスをするお客さんが多いので、ありがたいことにかなり忙しいスタートでした。

実は、量販店も含めて、修理ができない店というのも結構あるんです。自転車が特殊になればなるほど「ウチでは無理です」ってことが多くなるので、修理難民になってしまうことも非常に多い。県内でも特殊な自転車を扱える店は限られているので、他でどうしようもなくなって問い合わせを頂くことは多いです。もちろん僕もできないことはありますが、そこは強みかなと感じています。

駆け込み寺ですね。

そうですね。オープンしてすぐの頃も、修理のご依頼を「可能な限り断らない」というのを意識していました。GRINSは専門店として見られがちですが、近所のおばさんでも、学生さんでも、ママチャリでも、範囲を決めずにやっています。都市部に行けばお店も多いし専門店として差別化することもできると思いますが、盛岡ではそれはできないですから。何でもやりますよというスタンスは、基本的には今も崩していないです。難しい、対応できないということもあるんですが、そういう場合を除いては全部受けるようにしています。

 

これからのGRINSについて教えてください。

今、雫石市のレンタサイクル事業でお声がけいただきサポートしているんですが、そんなふうに盛岡でも自転車を通して街や人に貢献できたら、と思っています。

毎年春になると、「転勤や単身赴任で盛岡に来る方って意外に多いんだな」と思うんです。その人たちが車を持つという選択肢が難しいと、「盛岡の移動手段として自転車を勧められた」と言って買いに来てくれるんですよね。外から来た人からすると買い物に行くにもちょっと出かけるにも自転車がちょうどいい、と思うのかな。そういうお客さんも大事にしていきたいです。

印象に残っている言葉、教えてください。

「この店が無くなったら困る」って常連の方に言われたことがあって。とても嬉しかったですね。有名なお店になりたいわけじゃないし、地域に根付いているんだと感じられるほうが自分としては満足感があるんです。

 

2025年2月で丸10年ですね。今、どんなことを感じてますか。

まあ10年やってきて、ようやく店として根付いてきたかな、と。いい意味でも悪い意味でも、認識してもらうのに10年かかったなと思ったりもします。

僕らの仕事は同じことを繰り返す作業が多い。だからこそ、ずっと同じパフォーマンスを出し続けるには、というのは常に考えています。例えば接客でも常に一定を維持するには?とか。技術面も大事ですが、僕は接客の方に重きを置いていて、それには「言葉」が大切になってきますね。なるべく分かりやすい言葉で伝えたい、と思っています。

不安は毎年ありますね。激動の市場の中で、コロナ後の自転車業界では今が一番不況と言われています。商品の価格も高騰していますし…。でも物が売れなくても、修理やメンテナンスの技術で商売ができる。物販の一本柱だったら、ここまで続けるのは難しかったかもしれません。別に特別なことをやってきたわけじゃないので、今まで10年続けてきて、またこれからも同じことを続けていくんだろうな、という感じですかね。

 


BICYCLE SHOP GRINS(2015年2月20日オープン/盛岡市下の橋町2-13-1F
Instagram @bicycleshopgrins

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