盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

盛岡という星で 盛岡という星で

FA店 道具屋

2024/1/5

  

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

 

長沼岳彦さん、主濱絵里さん/道具屋


 

⸺ お店のオープンは2010911日ですね。

はい、今年で13年。あの時期は自分たちの他にもオープンしたお店が多かったですね。タイミング的に。

2人とも盛岡市内のインテリアショップで働いていて、そこで知り合いました。僕は2003年の立ち上げの頃に入社して、7,8年働きましたね。大学を卒業して別の会社に就職したんですが、退職して。ちょうど求人募集をみつけて面接を受けにいきました。すごい人数の若い子達が面接にきていました、100人以上いたんじゃないかな。みんなおしゃれな服装で来てたんですよ、インテリアショップの面接だから。なのに僕は、大学卒業して就職活動も経験していたし、ばりばりの紺色リクルートスーツで行っちゃったから「もう、これ絶対落ちた」と思って。

 

⸺ でも面接に受かったんですね。激戦を勝ち抜いて。大学ではインテリア関連の勉強をされてたんですか?

いえ、全然。ただただ好きなだけで。その好きな気持ちを伝えてたら受かっちゃったって感じですね。自分の実家は商店だったし、全然そういうインテリアとか雑貨っていう仕事ではなかったです。だからですかね、個人事業主に抵抗はなかったんです。

インテリアを好きになったきっかけは、初めて自分の部屋ができたときに、好きなものを並べていくことだったんじゃないかと思います。自分の部屋、って言っても子どもだから別に家具を買えるわけでもないんですけど。兄弟は3人いました、ずっと3人一緒の部屋で。その頃は、雑貨店のtipiとかCURTIS CREEKによく行ってましたね。まだ2階にあったhinaさんに行く時は緊張しました、おしゃれすぎて(笑)、お客さんは女子が多かったし。

 

⸺オープンの日、911日には理由があるんですか?

何もないです(笑)ただただオープンが伸びたんです。工事が伸びたわけでもなくてさぼりすぎちゃった(笑)今だとオープンするお店のみなさん、プレオープンをしたりするけどそういうわけでもなく、ポンって開けました。今日だ!みたいな。

HolzとかOODBrownstoneには「独立したいんだ」みたいな話を相談しまくってたので、オープンしてからみんな来てくれて。嬉しかったですね。あと、「道具屋」っていう名前を見て、工務店とか大工のお客さんがふらっと入ってきたり。今でも、年に1回くらいは大工さんがリアルな道具屋さんだと思って店にきてくれたりします。

オープンしてしばらくは知り合いがわーっと来てくれて、半年後が震災だったんですよ。青山のあたりは地盤が弱いところもあったみたいで結構大変で。うちの建物は大丈夫だったんですけど。それから半年ぐらい経った頃から外のイベントに呼んでもらったりして、自分たちの店でもイベントをやってみたいなって思うようになりました。

ちょうど店が1周年のあたりに、仲のいいメンバーと一緒に鉈屋町で開催されている「てどらんご」に出店したんです。街中にあるお店だったら、こっちの店をみて次はあっちの店へ行こうってできるじゃないですか。でも、うちは郊外にあるから、そういうハシゴはちょっと難しい。けど、1ヶ所に面白そうな店を集めてイベントができたらいいなって思いました。

この店でイベントを一番最初にやったのが2011年。でも今思うとだいぶ緩かったです、あの当時は。Nagasawa COFFEEOOD。仲良いメンバーが出てくれました。今みたいにSNSで発信じゃなくて、フライヤーを作ってあちこちのお店に置いて。初めてで準備するものとか、何もルールを知らなかったです。でも、知らなかったからこそ自由にできたというのもあるかな。今だったらめっちゃ考えすぎちゃうから。

 

⸺10年経った頃はどうでしょう、イベントをたくさんやったり?

いや、そんなにしてないと思いますね。お店でやった「青空商店」っていうイベントは、店で何回かやってから、岩手県営体育館の近くにある盛岡ふれあい覆馬場プラザでも開催しました。2020年頃にはもう大きいイベントではなくて、小さいイベントを店で月1くらいのペースでやれたらいいね、という雰囲気だったかな。

店で取り扱う商品もだいぶ変わったと思います。最初の商品は、インテリアショップに勤めていた頃に情報を集めてたり、退職してから展示会に行って選んだものです。今よりもっと雑貨が多くて、こんなふうに店内を区切ってなかったですね。小さい改装を繰り返してきたので今はこんな感じですけど、最初はただの箱みたいでした。家具も好きなものは置いてましたけど、割合的には多くなかったです。

 

⸺そのあと家具の取り扱いを増やしたんですね。

什器として置いていた家具についてお客さんから聞かれることがちょこちょこあって。タイミングをみて増やしました。今はやってないですけど、途中でカフェ営業の許可を取って、店内にもカフェスペースみたいな場所を作って、そのとき飲食の営業許可も取りました。店でやるイベントのときも飲食をやりたかったので、保健所に相談しながらちょこちょこ改装を。

古道具を店で取り扱いはじめたのは、自分たちがずっと古いものが好きだったから。仕入れるときには、売れる状態ではないので、手入れをして販売するっていう感じです。手をかけてかわいくなりすぎると、手元から離したくなくなるときはありますね。お客さんから家を解体するとか、家を整理してるから来てって言われて、買わせていただくときもあります。始めた当時はそこまで詳しくなかったけど、今はだいぶ「これはこうやったら使えそうだな」って見つけられるようになりました。他の地域にある好きな古道具屋さんを見て使い方、直し方を覚えていった感じです。

買い付けではタイや東南アジアなど、海外へも行くようになりました。コロナ前、何回か海外に行って、「これから海外にももっと行こう」と思っているあたりでコロナが始まって。実際になかなか行けなくなっちゃったから、YouTubeで海外の雑貨、家具、古道具の動画をみるようになりました。

 

お店をやってきて、印象に残っている言葉はありますか?

なんだろう。夫婦でもそれぞれ違うとは思うんですけど。僕は親父に言われた言葉ですかね。最初の頃、夢を描いてお店を始めて「まあ、生きていけるっしょ」って軽く考えてたんですよ。

でも、実際始めてみると全然思い通りにいかない。そういうときに、「1年、3年、5年、節目節目まで我慢しろ」って言われました。あと「お前は、石橋を叩いても渡らない、慎重すぎる」ってボソッと。実際、叩いて叩いて叩きまくるんです(笑)でも、妻が良い意味で自分とは性格が違うから。

絵里さん)私も叩いているつもりなんですけど、基本は深く考えないです。やりたいと思ったらやるし、考えても先のことってわからないじゃないですか。ムダに考えてもただ心労が増えるだけなので。だったらモヤモヤな気持ちになる前にやった方がいい、そこで考えればいいから。

自分は決まっても一歩目が遅いんですよ。よしやるって決めたあとも、歩くスピードもめっちゃ遅い。だけど妻は決まると自分を引っ張ってくれる性格だから。面白いです。商品を選ぶ時の好みも近いっすね。

好み、というか、扱いたいものを選ぶときのポイントというか例えば、今並んでる商品と全く違うジャンルのものを扱うときに、「ジャンルは違うけど、ここは自分たちっぽいよね」っていう「ぽさ」の部分が近いんだと思います。コロナが明けて、今年2月と6月タイとベトナムに行ってたんですけど、あっちに行くと、別にメーカーとかブランドのショールームに行ってるわけじゃなくて、例えば盛岡で言ったら神子田の朝市みたいなところとか、日用品、雑貨店とかを見に行くんですよ。そういうときも「あ、これはうちっぽいんじゃない?」っていうものを選んでいるので、そこの感覚は大事にしています。その「ぽいね」が、結果的に自分たちの芯だと思うので。

 

⸺ これからの道具屋について教えてください。

変わっていくとは思うんで。今までも変わってきたし。芯っていうか、変えないところはやっぱりあるんですけど。どんどん変わっていくと思います、自分たちは、うん。今までもそのときのタイミングで、この人に会ったからこうなった、とか。これに興味を持ったからこういうこともできた、ということもたくさんあったので、多分これからもいろんな人たちと出会って変わっていくんだと思いますね。

 


道具屋2010年9月11日オープン/盛岡市青山1丁目19-54)
Instagram @douguya.nono