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盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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FA店 小綿商店

2025/9/17

 

10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。

小綿 良太さん/小綿商店 


 

「小綿」というのは名字は珍しいですね。

小綿さん)ですよね、地元にはたくさんいるんですよ、盛岡市の好摩出身です。部活はサッカーをしていました。ポジションはサイドバックです。進学した盛農(盛岡農業高等学校)でも続けました。

 姉と弟がいます。小さい頃は、うーん…自由奔放でしたね。小さいころの夢は漁師か消防士でした。なんとなくかっこいいとかそういう風に思ったんだと思います。第一希望は消防士で、消防士を引退してから漁師になろうと思っていました。でも絶対なりたいって強い意志があったわけでもなくて、将来の夢って書かなくちゃいけないから書いただけでした。

高校を出てからは自衛官になって滝沢の駐屯地にいました。(任期が)2年更新なので、2年だけでしたけど。それから29歳まではフリーターでした。服屋とか運送業とかいろいろ掛け持ちでやりました。早朝は運送業の荷物の仕分け作業で、日中は服屋でという感じだったので、4時から21時くらいまで働いていましたね。とにかくお金を貯めるために働きました。

 

それはお店をやるための資金を作るのが目的だったんですか。

そうです。29歳のときに小綿商店をオープンしました。場所は全然決めていなかったです。どこかいい場所があれば…と、不動産屋さんをまわったんですが、どこも微妙で。諦めて、いい物件が出るまで待ちますって言いに行こうとしたら、「上堂に物件があるよ」って紹介されて。見に来たら、まあ悪くないかなと。

 この場所でお店をやることは友人、親族、ほとんどの人に反対されました。こんなところに誰も来ないよって言われましたね。でも、カクカクして、真っ白で、床はコンクリートで、すごく変な建物だったので気に入りました。

以前は魚屋さんが入っていたらしいです。魚屋だから水を流すので、床はコンクリートで少し傾斜があるし。それから全部自分たちでDIYで店作りをはじめました。2か月くらいかかりました。

元々壁がなくて、天井から新しく柱を作り、そこに壁を作ったんですよ。1か所だけ既存の壁がありますが、それ以外は後からできた壁です。トイレの位置も遠かったので、お客さんが使いやすいようにレイアウトを変えました。昔は通路が鏡の奥までずっと続いていました。

けっこう厨房が広いんです。厨房の奥は壁をぶち抜いて隣のアパートと繋げて6畳4部屋を店用のバックヤードにしています。狭い店ですが、バックヤードは超広いです。

 

オープンの日はどんな感じでしたか。

当時はFacebookが流行っていたので、Facebookで告知を出しました。知り合いとかがポツポツと来てくれました。オープンの日、9月3日はただの結婚記念日です(笑) 

小綿商店は最初、俺と嫁と、嫁の兄の3人でやっていたんですよ。店の場所や内装なんかは俺と嫁で決めて、兄がパン、俺が洋服、妻がカフェ。兄は今は山梨で「パンとカジモト」っていうパン屋さんをやっています。兄の奥さんの実家が山梨なんです。人気店です!

オープンの頃は、スープセットやカレーがメインで、あとは店頭に並べてあるパンをイートインで食べられました。パンの種類は今の倍ぐらいありました。

メニューは一応デジタルといえばデジタルです。昔は紙に一発書きでしたけどね。でもまあオープンの時からずっとこんな感じです。ふざけたいんです(笑)

 

お兄さんは元々パン作りをされていたんですか。

はい、東京で10年やっていました。それから盛岡にいて、6年ほど前に山梨に行きました。いまは別の人がパンを焼いてくれています。自分はパンの具材を担当しています。パン作りも大変ですが、具材作るのもまあまあ命削っています。(笑)

 アルバイトの子たちにも助けてもらっていて、岩大(岩手大学)、県大(岩手県立大学)、盛大(盛岡大学)の大学生たちもいますが、40代、50代の方もいます。全部で7人かな。いつもみんなが出ているわけじゃなくてスポットで来てくれています。

お店の内装は変えたりしていますか。

はい、何度か変えていますね。自分たちで作ったので、自分たちで変えられるんですよ。さすがにトイレを移動したときは業者さんに来てもらいましたが。

 

農場についても教えてください。 

農場は妻の実家ですね。別にキャンプ場だったということではなくて、鶏を放し飼いで飼っている卵農家です。父が亡くなってからは母が一人で続けていたんですが体力的に難しくなって、卵の生産は止めました。

今年の農場キャンプでは念願の花火をあげました。ずっと「花火ができたらカッコいいな」と思っていたので嬉しいですね。

農場キャンプはやってみてどうですか。

やってよかったなと思いますね。最初は知り合いだけを集めて2015年に始めました。知り合いが知り合いを呼んだりして、100人くらい集まりましたね。やってみたらすごく楽しくて。

最初から100人くらい!

はい。まあ、それぞれ家族の人数が多いので。俺、妻、妻の兄、その兄が双子で、一人は山梨に行ってますが、もう1人は西根にいて酪農をやってるんです。

もう小綿商店をやっていたので、お店のお客さんにも声をかけたりしていたら100人くらいになりました。最初は1泊2日でやっていたのですが、それだと慌ただしいので、数年前からは3日間にしました。今回の日程でいうと24日はもう片付けるだけなので、実質は23日がメインって感じです。多い時だと23日だけで5000人くらいのお客さんがきます。

日帰りのお客さんが半分くらいいます。いや、半分以上かもしれないですね。もう家族だけではできない規模になったので、農場キャンプのためのボランティアの人がいます。もちろんお店のスタッフも頑張ってくれます。「農場キャンプは1000年続けなきゃ」って話してるんです(笑)

ASOBITO Camp Fieldは1000年続けなきゃいけないので、おのずと農場キャンプも1000年続けなきゃいけない、っていう。

 

お店が10年目くらいのときはどうでしたか?去年、一昨年くらいの頃だと思いますが。

早いなと思いました。なんかあっという間に10年が経ちましたね。3回くらいガラっと内装を変えたり。

10年前も今もあまり変わってないですよ。子どもたちが大きくなったってことくらいですかね。末っ子が小学生になるとまた生活が変わるんだと思います。でも一番下の女の子が一番おりこうさんなんで心配してないです。

子どもたちも店を手伝ったりしてくれます。まあ、邪魔ですけどね(笑)悪さするよりはいいかなと。片付けても片付けてもなにか出してくるから、全然片付かないんですよね。すぐその辺に絵を描いたりするし。

うちはお小遣い制じゃないので、子どもたちにも働いた分は最低賃金と同じ額をちゃんと払ってます。子どもたちは、店をやってない時代は知らないですからね。だからソフトクリームとかタダで食べられるのが普通だと思ってるんですよ。

土日も仕事だから遊びにつれてったりはできないけど、学校から帰ってきたらずっと一緒にいるから、普通の家よりは一緒にいるかも。家は近くにあるんだけど、ここに帰ってきて、裏のバックヤードにいます。

 

これから何かやりたいことはありますか。お店でやりたいこと、農場でやりたいこと。

このまま楽しく生きられたらいいかなって感じですね。お店を大きくするとかは考えてないです。農場の方は、もっとキャンプ場を充実させられたらなとは思います。シャワーをつけたりとか。管理人業務が忙しくなってしまいますけど。

⸺大切にしている言葉はありますか。

何事も後悔しないように生きる、楽しく生きる、ですかね。今までも後悔していること、振り返ってもぜんぜんないです。

後悔と失敗の違いって何だと思いますか。

失敗は諦めたら失敗だと思いますね。成功するまでやれば成功なので。「やらない」ってことが失敗なのかな。やれなかったことも振り返るとなくはないんですが、でもそれは自分で決めた「やらなかった」「やらない」の部分が大きい。いつかはやりたいこと、として置いておけば、それがいつか達成できたら成功ですもんね。

 

 


小綿商店 (2013年9月3日オープン/盛岡市上堂3丁目5-13
Instagram @kowatashoten.smollcottoncafe

 

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