盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

盛岡という星で 盛岡という星で

もりおか史!

2024/6/20

||◤#02 「盛岡藩」って岩手?◢||

 
✤ 「盛岡藩」という言葉を聞いたことがありますか? 江戸時代に存在した「藩」という行政区画のうち、盛岡を中心として南は北上市、北は下北半島の方までの広大な範囲を示す言葉です。
 
✤ 前回お伝えしたとおり、盛岡藩は南部さんが統治していたエリアです。「盛岡」と付いているので「今の岩手県の範囲かな?」という気もしますが、実際には岩手県の南1/3ほどが隣の伊達さんの領地でしたし、秋田県の鹿角市周辺は盛岡藩の一部でした。
 
✤ ちなみに、「盛岡藩」より「南部藩」の方が耳なじみがあるという方も多いかもしれません。「南部藩」と言っても間違いではありませんが、実は北隣の八戸藩の殿さまも南部さんですし、明治になってからできた七戸藩の殿さまも南部さん。そのため「南部藩」だと、これらのどの藩を指すか混乱してしまうので、近年では「盛岡藩」と呼ぶのが一般的です。
 
監修 ► もりおか歴史文化館 [WEB
 
 

 

◤ 資料解説 ◢

「盛岡藩領図」(もりおか はんりょうず) 正保4年(1647 745.4×381.8

「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われた盛岡藩領の全体図。正保4年、江戸幕府の命に応じて盛岡藩が提出した国絵図の控えである。当時の盛岡藩は、北、三戸、二戸、九戸、鹿角、閉伊、岩手、志和、稗貫、和賀の10郡、すなわち下北半島を含む現在の青森県東部と岩手県中部以北、秋田県の鹿角地方に及ぶ広大な領地を有していた。