FA店 Due Mani
2023/11/1
10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。
小澤智範さん/Due Mani
⸺オープンした頃のことを教えてください。
オープンは2010年12月20日。本当は予定は11月ぐらいだったんですけど工事が延びちゃって。僕が38歳の頃ですね。Due Maniの前は盛岡のヴァンダンジュっていうお店で7年半ぐらいシェフをしていたんだけど、そこが閉まるっていうことになって。妻からは、そろそろ独立でいいんじゃないって言われて、それから物件を探しました。
ここ(Due Maniに向かって右側)は肉まん屋さんで、反対側が中華屋さん。「肉まんと中華の間でイタリアン…?」って思ったんだけど(笑)盛岡らしい場所でやりたかったんです、中津川沿いでお店をやるのが理想だったけど、なかなか物件はないし、紺屋町なら川も近いし。あと、前の厨房はクローズスペースで、お客さんの様子がほぼ見えなかったんですよ。忙しい時間帯だと挨拶すらできないこともあって。だから、お店に入ってきたお客さんのことは厨房から見えるようにしたかった。「この物件ならそんな店ができるな。最初は狭くてもいい。」それで、この場所に決めました。
⸺店内にある絵や本、音楽。昔から芸術に興味があったんでしょうか?
大学になってからですね。高校までは釜石市で育って、ずっとサッカーしかしていなかったし、芸術に触れる環境もそんなになかったし。大学では関東方面に行って、美術やアートも見たいと思っていました。大学に進学して教員免許を取ったんですが、就職はしなかった、実習に行って「僕は教育現場はむりだな」って思いました。教育現場って聖職っていうイメージが強かったんですけど、思っていたのとは違いそうだなあって。大学時代はサッカーのコーチもしていたので、純粋に子どもにサッカーを教えたいな、と思ってコーチの資格を取るために大学院を目指したんですけど、そこが語学の単位が2つ必要で。僕、英語だってできないのに、もう一つなんて絶対無理。それで諦めました。
国立大学の寮に住んでいたので学費も寮費もめちゃくちゃ安かったんですよ。親には「全部自分でやるから」って話して、卒業の条件まであと1単位というところまで授業を取ってから、自由な時間を作りました。大学って、一番長くて8年までいられるんですけど、7年目にバイトをしたところが、無添加のハムやソーセージを量り売りで販売していて、奥に飲食スペースがあるお店だったんですよ。主婦の方がオーナーだったので、夜の8時までの営業だった。その頃から酒が好きだったんですよね。お客さんと話をするのも。だからちっちゃいバーを作りたくて。オーナーに「この店で閉店後にバーをしてみたいんですけど…。」っ言ったら、いいよー、って。それが25歳くらいの頃。で、いざやったら流行っちゃって(笑)
だから、最初はシェフじゃなくて、バーテンダー。カフェスペースで朝からで働いて、夜9時からバーテンダーの仕事をして、みたいなことをやっていたんですね。楽しかったです。オーナーから「そろそろ大学卒業だし、うちに就職しない?」って言われて、7年通った大学を卒業して、就職。3年ぐらいバーテンダーとして働きました。
⸺最初はバーテンダーからのスタートだったんですね。どんなふうに料理人のキャリアが始まったんでしょう?
バーでお客さんと話すのと同じくらい食べることも好きだったから、料理を作ってみたいなって思った。それが27歳の頃です。知り合いのシェフに聞いたら「フレンチとか和食は早くから修行しないと難しいよ、イタリアンだったらもしかしたら何とかなるかもよ」と言われて。ローマ人がシェフの店で働き始めました。でも料理を教わり始めて3ヶ月経った頃、そのシェフが母国に帰らなくちゃいけなくなって。「店は小澤に任せる」って言い残して帰っちゃったんです。そのときはイタリア人が2人、日本人が6人働いていました、もちろんみんな経験者。僕は28歳で、料理を勉強し始めて3ヶ月。
「〇〇シェフの料理が食べたい」というオーダーがあたりまえに入るような店でした。「あの店の料理」ではない、料理それぞれにシェフが自分のレシピを持っていたんです。だからこそ味見は他の料理人にはなかなかさせない。でも僕は遅くに料理をスタートしたから、使い終わってシンクにガンガン投げられたフライパンが洗われる前に、火傷しながら(笑)味見をしてたんですよ。で、その味を真似して賄いで作ってみて。
だからかな、ローマ人シェフは店に自分がいなくなっても小澤ならって言ってくれたみたいです。でも、やっぱり料理歴3ヶ月だから。真似はできるけど、常連さんに「小澤シェフの料理が食べたい」って言われても僕の料理なんてないんですよ。真似した料理を出すとそれはそれで喜んでもらえるけど。その期間、ストレスで味が全然わかんなくなっちゃいましたね。その後3ヶ月くらい勤めて、家の事情もあって盛岡に来ることになったんです。
帰ることが決まってから、盛岡に住んでいた姉と一緒にいろんなお店を食べ歩きしました。どこか、誰かの下で勉強したいなと思って。なかなかみつからない中で、最後に行ったのが菜園にあるスパニッシュライツ。僕と姉の席の隣にイタリア人グループがいました。その向こうの席におじさんと女性の人が座ってて。僕はイタリア人とも仕事をしてたから、ちょっとイタリア語で話したんです。そしたら奥のおじさんが「君、なんだ?!」って(笑)
こんなわけで今仕事探してます、って話したら、「僕がここのオーナーに聞いてあげるよ」って言ってくれました。スパニッシュライツのオーナーは「ここの他に店がもう1店舗あるんだけど、料理人が今いない」と。正直、誰かの下で料理の勉強をしたいんですけど…っていう気持ちもあったけど、わかりましたって答えました。そのとき、間をつないでくれたおじさんが今もお世話になっているワインセラー屋さんなんです。
ヴァンダンジュを辞めたばかりの頃も「お茶会の前に食べる料理を作ってくれないか?今、収入ないだろ」って声をかけてくれたり。そのときにお世話になったお茶の先生がすごくいい方で、それからお茶も習い始めました。お茶の先生から「自分の個性や癖をなくしなさい。なくしていったとしても何かが残るんだから」って言われたことがあります。その考え方にすごく影響を受けているような気がするんです。ずっとやってたサッカーでは、攻めるポジションだったので、「点を取る」とか「ボールを渡せ!」みたいな自我を強く出すことが大切だった。
自分で店を始める頃にはそういうのも薄れてきて、子供もできて、丸くなったのかな。自分が食べたいと思う料理も、昔は「有名なシェフのを食べたい」とか言ってたんですが少しずつ変わってきましたね。
⸺大事にしている言葉はありますか?
うちの母親は商売をやっていたんですけど、「商いは『飽きない』だよ。」と言われたことがあります。商いは、自分が飽きないようにしないとだよって。最初は意味がわからなかったですね、僕は性格的に飽き性ではないので。でも店を同じ環境でずっとやってると、お客さんよりも店の人の方が飽きちゃうこともある、楽しめないというか。今は少しわかる気がしますね。だから楽しそうなこと、新しいこと、いろいろやってみています。
本の中の言葉だと、河合隼雄さんが「日本人は真ん中に『空(くう)』がある。ヨーロッパだと、その『空』の場所には『自我』が入っている。」というようなことを書いていました。「空」がある、だからこそいろんなものを取り込めたりするんだな、って腑に落ちたんです。いい意味で「通り過ぎていく」というか。
料理人としても、生産者の育てたものを僕が預かって、お客さんに届ける、そういう感じ。料理人って実は何も作ってないな、って気づいたんです。料理は作ってるけど、野菜も、魚も肉も、調味料も。作り出されてるというか自然が作ってるようなものですよね。自我とかそういうものはあんまりなくなってきているかも。だから変なことしてもいいかって。(笑)
⸺これからのduemaniについて教えてください。
今は週休1.5日なんだけど、これからは週休2.5日にして、金曜日の夜の営業を長くしようかな、と思っています。ワインバーとか。お客さんが来なかったら好きな本を読んでいればいいし、ふらっと来てくれる人がいれば嬉しいし。そう、そんな感じがいいな。あと、映画の上映もやりたい。飲食店っていうよりも場所として、常連さんが楽しめたり、なにかに気づきがあるといい。かっこよく、真面目にやっても面白くないですし。
あとね、もうひとつやりたいことは、石ビジネス(笑)店に石を1個100円で置いてるんです。右の方のは釜石の愛の浜。左の方のは大迫で拾ってきました。常連さんは温めてマッサージに使ってるらしいです。
自分が石が好きなことを思い出して、でも自分で集めて眺めてもしょうがないなと思ったときに、もしかしたら大勢じゃなくても、自分以外にも石が好きな人もいるかもな、って思ったんです。結局、ワインを売るのと同じなんですよね。ワインも僕は作っていないし、石も作っていない。いいなと思ったものを選んで、お客さんに届ける。ぜひ石だけでも、覗きに来てください(笑)
Due Mani(2010年12月20日オープン/盛岡市紺屋町7-16)
Instagram @duemani_morioka
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