盛岡という星で ThePlanet MORIOKA BASE STATION

盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。 盛岡を小さく丸いひとつの星に例えます。今までとは違う角度から盛岡を写し取り、見つめようとするものです。

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もりおか史!

2025/5/27

||◤#10 盛岡藩士が描いた彗星 ◢||

 

✤ 「盛岡藩家老席雑書」(以下、「雑書」)という盛岡藩の家老席にあたる藩士たちによって日々記録された江戸時代の政務日誌があります。

✤ 政務日誌という特性上、中身はもちろん全て文字なのですが、絵が描かれている年があるのです。それは延宝8年(1680111日条のことで、右上に小さいですが確かに絵が! 小さい丸には「是ハ星也」、線状のものには「是ハ白雲ニ以候」との文字が記されていますが、一体これは何を表しているのでしょうか。

✤ 正解は「彗星」です。1680年から1681年にかけて現れた大彗星「キルヒ彗星」は、日本だけではなく世界中でその記録が残されています。「雑書」には次のとおり、南西の方角から光る星の右側に幅約60.5㎝、長さ約30mもの布を張ったような雲が現れ、12月上旬まで見えたと記されています。衝撃的な出来事だったのでしょう。文章だけではなく絵でこの光景を残そうとした家老の懸命な思いが伝わってくるようです。

[原文]
延宝八年 十一月一日
一 申ノ方より大図幅弐尺余、長十丈計と相見候、如布引はへ候雲出ル、但シ北ヘなひく、酉ノ刻出、戌ノ刻消、初発雫石山ノ陰より出候処、追日空ヘ横ニ高クミユル、十二月上旬マテ毎夜也、光タルトキ星より右雲白くタナヒク

監修 ► もりおか歴史文化館 [WEB
 
 
 

 

◤ 資料解説 ◢

「盛岡藩家老席雑書」(もりおかはん かろうせき ざっしょ)

盛岡藩の家老による政務日誌。江戸時代初期の寛永211644)年から幕末も近い天保111840)年まで、約200年分の記録を綴った貴重な資料である。毎日ほぼ欠かすことなく記された日誌は、当日の日付と天候、担当家老の名前からはじまり、当日家老に報告された藩内の出来事や藩主の動向、さらに産業、法制、宗教、年中行事や自然現象などに関わる事柄が詳細に記されている。