FA店 風とaoの美容室
2025/5/30
10年以上25年未満の代替わりしていない小規模店。F(古すぎず)A(新しくもない)通称「FA店(エフエーテン)」。老舗特集にも新店特集にも載らない、でもきっと誰かの目的地になっているFA店の、今までとこれからのお話。盛星編集部がじっくり伺っていきますよ。
中舘 弥寿夫さん/風とaoの美容室
⸺中舘さん、ご出身は?
生まれは盛岡です。兄弟は男3人の真ん中、兄と弟がいます。「実家も美容室?」ってよく聞かれますが、違いますね。高校は不来方高校です。不来方高校を選んだのは、当時は新しかったのもありますし、なんとなく自宅から離れたところに行きたくて。あと、当時陸上部が強かったんですよ。ずっと長距離をやっていたので高校でも陸上部に入ったんですが、練習についていけなくて1年で辞めました。
当時は県内でも1,2を争う強さでしたね。自分が辞めてからですが、京都で行われる全国の高校駅伝大会にも何度か出場したこともあるくらいです。
走ることは好きですね。好きでしたけど、高校時代もやり切ったのではなくついていけなくて辞めてますし、そのあとは競技から距離をとっていました。若い時に逃げてしまった自分という負い目もあります。
高校卒業するときは何になりたいとかよく分かっていなくて、数学が得意だったので税理士になろうと思って専門学校に行ったんですね。数学ってクイズみたいなものですからね。パァッと型がはまって解けていくのは美しいじゃないですか。走ることも「この練習をして積み重ねていけばこうなるんじゃないか」という組み立てを考えたり実践するから好きなんだと思います。でも勉強はもういいかなと思って、結局JR東日本に就職して1年くらい勤めて、そのあとに美容師になりました。横浜の美容室に就職して、美容学校は通信教育だったので横浜のお店で働きながら通いました。
税理士の専門学校は盛岡で、JR東日本に就職して最初に着任したのが一関でした。当時は本人の地元で就職はできないルールで、岩手県内だと新幹線が停まる駅、北上、一関、盛岡の中で、地元じゃない地域が勤務地になるんです。
JRでは、みどりの窓口で8時から17時くらいまでの日勤を担当していました。窓口の機械の操作を覚えて。当時の新幹線は盛岡までだったので今ほど複雑ではなかったと思います。
JRに入ろうと思ったのは専門学校の先生に紹介されたからです。専門学校の卒業に必要な科目は全部1年生のうちに終わって、2年生で税理士になるための勉強をするか就活をするか選べました。もう1年勉強するか迷っていたときに先生がJRの求人を紹介してくれて、就職試験を受け、2年生の夏休みくらいには就職が決まりました。
⸺そこから美容師に、というのは大きな方向転換ですよね。
世の中的にいえば安定していますしとてもいい就職先だったと思うんですが、私は1年経って慣れてきた頃に少し違和感を感じて。
当時、2つ下の弟が盛岡で理美容の専門学校に通っていました。そのおかげで「美容師」が次に就く職業として選択肢の1つになったんです。
JRを辞めるんだから、ネクタイをしてスーツを着る仕事じゃわざわざ転職する意味はないなと思っていました。美容師に強い憧れがあったわけではないんですが、先に就職した弟の様子もみていて、いいかもなと思うようになりましたね。
美容学校は通信教育で、当時、50万円くらいでしたね。わたしは横浜の美容院に勤め始めて、現場と並行して資格取得の勉強をしたので、必要なことはだいたい現場で習い、店で教わったことを教科書で復習して課題のレポートを提出していました。通信教育は当時2年半でした(※現在は3年)
不安だったけど、まずは美容師になれたということは大きかったです。それに横浜って都会じゃないですか。だからそこで働き、暮らせることがそれだけで楽しかった、つらいとか大変だとはあまり思わなかったです。
シャンプーから始まって、カラー、パーマ、ブロー、カットだったかな。そのお店ごとに細分化はされているかもしれませんが、基本的にはそういう流れで仕事を覚えていきます。
横浜にいたのは8年くらいですかね。20代はだいたいむこうにいて、29歳になる年に盛岡に帰ってきました。
将来はどうしようか、盛岡に戻るか東京にいるかと考えたときに、30代になるって当時の自分にとっては大きな壁だったので、30歳になってから転職するというのは美容師業界ではオールドルーキーみたいで周りも扱いにくいんじゃないかなと思ったんです。なので20代のうちに地元に帰ろうかなと。
いまは40代の美容師も珍しくないですが、当時は大きな店舗にいる美容師って店長は30代前半でしたし、カリスマ美容師と言われてた人たちも20代後半から30代前半くらいが多かったですね。女性は結婚して退職することが多かったです。いまは子育てしながら働いている女性も増えましたし、時代が変わりましたね。
⸺初めてみるお客さんの髪を切るって、すごく難しいんじゃないかなと思うんですが。
はじめはそうだったかもしれません。お医者さんが「この薬を出すから様子見てみてください」と処方するのと一緒で、お客様に対してドンピシャな何かをねらいつつ、最初は余白を残した状態で切るようにしています。
初めの2、3回くらいはそうやって経過をみます。「様子をみる」と言ってもお客様にとって80点は超えた状態でないといけないので、パーソナリティの部分がわからないなりに丁寧に説明をしたりコミュニケーションをとるように心がけています。3回くらい来店してもらえると、カラーの染まり具合や色の落ち具合が分かってきますね。私のお客様は白髪染めをする年齢の方も多いので、「これだと色の持ちが悪いけどどうしますか」とか「明るい色がいいならこうなりますよ」とか細かくご相談しながらやっています。
予約は1日に5、6人しかとらないです。店にはもう一人美容師がいますが、各々にお客様がいるという感じです。手が空いていれば床を掃いたりはしますが、施術に関しては別々です。
⸺お店の名前「風とaoの美容室」のaoをアルファベットにしているのは意味があったりしますか?
本当は「青と風の美容室」という名前だったんです。でも漢字で書いたらちょっとカタい感じがして、アルファベットの小文字だと可愛いかと思ってaoにしたんですが、アルファベットが先頭の文字だとちょっと語呂が気になるなとなって「風とao」にしました。空とか海とか自然の色という意味合いでの「ao」です。風とか青ってなんとなく心地よさを感じるイメージじゃないですか。こういう人里離れたというか街から離れた見晴らしのいい場所でゆっくりしてもらいたいという思いがあったのでこの名前にしました。女性を相手にしますから、やわらかい印象の名前がいいなと。少し古風で、新しくもないけど古くもならない名前をつけたかったんです。漢字とアルファベットが混じっている名前は新しいけど、耳障りとしては自然。そういうのがいいな、って。
お店の物件も、ゆっくりのんびりできる雰囲気を重視しました。もともと一人一人にちゃんと対応できるほうがいいという目的をもって独立したので。
お店の経営はわたしが一人でやっていて、そこにもうひとり入った感じです。あ、もう1人の美容師って実の弟です。
オープンして3年くらいのときに入ったので、9年前くらいですね。元々は都南の美容室で働いていて、そこからうちに移りました。
29歳で盛岡に帰ってきて、37歳のときにオープンしました。それまで8年は花耶さんにお世話になっていました。戻ってきてすぐ独立も考えましたが、このあたりの理美容の事情も分かってなかったので、まずは雇われて働きたいなと思っていて。その5年目に地震がきたんですね。それで5、6年でと思っていたのを少し延長し、そのあとで独立しました。
絶対に自分のお店をやろうと思っていたわけではなくて、会社の方向性と自分の考えていることにズレが出てきたら辞めようとは思っていました。会社が嫌い、とかではなく。個の時代になろうとしている流れのなかで今後について考えたときに、スタッフやアシスタントがたくさんいて一日何十人ものお客様に対応するというよりは、体力のあるうちに独立したいなと考えていたところに震災があって、その後、世の中が正常な状態でまわるなと思えた頃に退職した、という感じです。
大きい店舗だとどうしても、立場が上になるにつれてアシスタントの子たちが「先輩にシャンプーさせてはいけない」みたいな雰囲気になってくるんですね。もちろんそれも大事なことなんですが、それでも「手が空いてればやるよ」というスタンスの方が人間的に自然な感じがするんです。仕事の役割として指導したり会議に出たりはしますけど、上下はそこまで感じたくなかった。
「自分でもなんでもやる」というスタンスでいないと、自分が独立したときに苦労するので。残るにしても会社に認められないと続けられないし、ちゃんとできてないと独立なんてできないですからね。
美容師業界は年齢以上に、売上やキャリアを重視します。特に横浜はそうでした。入社したとしても30歳くらいのときにお客さんがついてなければ、会社としても雇い続けることが厳しくなってしまう。若手にもチャンスをあげないといけないですし。
⸺その辺は普通の会社員よりもシビアですね。
ほかの業種でもそうですけど、ずっと同じ人間が監督をやり続けるというのは勝てなくなる場合が多いんです。実際、私も店長を若手に譲って辞めるという話をしたときはそういう思いもありましたし。その椅子を空けて循環させていかないと停滞するし、新鮮な感じではいられないので。やっぱり新しくしないといけない。勇気が要りますね、でもやらないといけないから。まあ自分はそういう権力みたいなものにあまり興味がなかったというのもありますね。循環することで業界全体が良くなっていくのが一番じゃないですか、会社で育ててもらってお客様もつけてもらったという恩もありますし、循環することで若手にも大きくなってほしい、頑張ってほしいなと思っています。
でも怖いという気持ちもありますよ、独立して最初の5年くらいは怖かったですね。今月大丈夫だろうかと思いながらやっていた時期もありました。
いまも怖いです、いろんな不安がありますからね。でもそれはずっとつきまとうと思います。ただ、じゃあ前の会社にいたら安心かというとそれも分からないですし。淡々とやるべきことをやるだけです。
⸺10年経つとまた少し変わりますか?
10年経ったから何かが変わったというのはほとんどなくて、この辺、たぶんうちの後にできた新しい美容室って1、2店あるか無いかなんですね。街なかだとどんどん新しいお店ができたりして「俺(の店)も10年経ったな」とか感じることはあるかもしれないですけど、ここにいると「10歳年を取ったな」とか「木が大きくなったな」としか思わなかったりします。
⸺いままでに心に残っている言葉はありますか?
そうですね。難しいですけど、好きな言葉はあります。「神は細部に宿る」という有名な言葉ですが、そう思って仕事をしています。細かいところ、それは技術もそうですし態度でもそうですし、全てにおいて人柄が出てくると思うので、そういうところを積み重ねて生きていかなきゃなと思っています。
美容師は女性を相手にすることが多い職業なので。女性は、生活のことも、仕事のことも、良いことだけではなくていろいろな変化がありますね。相談、というか、話を聞くのが仕事でもあります。でもそれもほんとうに人それぞれ。盛岡に戻ってきてからずっと担当しているけどあまり話したことないなとか、何の仕事をされているのかなとかいうお客様もいます。そういう方にはあまり根掘り葉掘り聞くことはせずに、リラックスしていただきたいと思います。
風とaoの美容室 (2014年3月1日オープン/盛岡市緑が丘2丁目12−47)
Instagram @yasuonakadate
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